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昨日は昼間、気持ちが良かったんで灘波宮跡でこの本を片手に散歩しながら読みふけっておりました。
恐らく難しい顔をしながら読みふけっていたのできっと周りから見ると気味が悪かったと思います。
しかし、午後の灘波宮跡から東に連なる生駒山を時に眺めながらの歴史本の読書は、なかなかおつなもんですぞ。
さて、この著書ではじめて知ったのだが津田左右吉さんという方の影響をお受けになって、この著者の直木さんは日本神話の研究にのめりこんで行かれたようだ。
まず、明治から太平洋戦争までの間に、古事記や日本書紀が天皇の権威を世に知らしめる為に編纂されたということを批判すれば、当時は世間から吊るし上げられたんですね。
戦後になって随分言論の自由や、学問の自由闊達な議論や研究が進んだとはいえ、まだまだ一般にはタブーな領域です。
だって、学校でちゃんとした歴史を教えないからね、この国は。
津田氏は明治、大正期にそのタブーの領域に踏み込み、やはりかなりの弾圧をお受けになったようだ。
津田氏は、当時既に「神武天皇はいなかった」と断言している。
今でこそ、書籍やネットでこういった研究は進んでいるが、当時の時代背景を考えるととんでもないですね。
明治憲法は、天皇は万世一系に基づいて作られてますから。
しかし、津田氏のように、当時の列強の時代の中においてそういったタブーに疑問視する学者達はいない訳ではなかったようで、森鴎外も「かのやうに」で、遠まわしな表現で当時のジレンマを描いています。
さて、直木氏がこの著書を発表された当時(1967年ごろ)は2月11日を建国記念日にする発案が国会で討議されており、直木氏は非常に危機感を持ってその推移を凝視されておられた。
神話に由来する「紀元節」の2月11日を強引に建国の日にするやり方に非常に危機感を持っておられた。
日本は無宗教な国と我々庶民は思っているが、明治憲法は天皇を万世一系で天孫降臨してきた神武天皇の子孫であるという、非現実的な虚偽に基づいているではないか。十分オカルトだ。
やがてその思想が太平洋戦争の悲劇を生んだのではないのか。
だから、戦後、またしても神話に由来する建国の日の制定に危惧を抱かれておられた。
日本神話は中にはほのぼのとした物語もあるが、基本的に神話の大筋は血塗られた話ばかりだ。
神武東征然り、ヤマトタケル然り、スサノウの傍若無人然り。
しかも、古事記、日本書紀の編纂の意図と目的は先にも触れたが、編纂された当時の天皇の権威を世に知らしめる為のものであった。
当時の天皇とは天武、持統である。
天武天皇は壬申の乱で天智天皇に勝利し、都を大津から奈良へ移した。
まず、この時点で、天皇家の祖先は親戚同士で戦争をしているのである。
しかも、恐らく彼らは渡来人であり、神話に記されたように、日向の地に天孫降臨してきたなどとは全く思えん。
古墳の調査なども鑑みれば、いよいよ現実的に広く、庶民が積極的に歴史の事実に関心を示すことが、過去の過ちを防ぐ事に繋がるのではないのか。
実は今上天皇も国民がこういったことに関心を抱きはじめる事に期待しているのではないだろうか。
☆韓国とのゆかり発言 以下転載
日本と韓国との人々の間には、古くから深い交流があったことは、日本書紀などに詳しく記されています。韓国から移住した人々や招へいされた人々によって様々な文化や技術が伝えられました。宮内庁楽部の楽師の中には、当時の移住者の子孫で、代々楽師を務め、いまも折々に雅楽を演奏している人があります。
こうした文化や技術が日本の人々の熱意と韓国の人々の友好的態度によって日本にもたらされたことは幸いなことだったと思います。日本のその後の発展に大きく寄与したことと思っています。
私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに韓国とのゆかりを感じています。武寧王は日本との関係が深く、このとき日本に五経博士が代々日本に招へいされるようになりました。また、武寧王の子、聖明王は、日本に仏教を伝えたことで知られております。
しかし、残念なことに、韓国との交流は、このような交流ばかりではありませんでした。このことを、私どもは忘れてはならないと思います。
ワールドカップを控え、両国民の交流が盛んになってきていますが、それが良い方向に向かうためには、両国の人々がそれぞれの国が歩んできた道を個々の出来事において、正確に知ることに努め、個人個人として互いの立場を理解していくことが大切と考えます。
ワールドカップが両国民の協力により、滞りなく行われ、このことを通して両国民の間に理解と信頼感が深まることを願っております。
この発言は実に尊いと思います。
さて、日本神話は古事記、日本書紀に限ったものでは御座いません。
出雲神話の方が古いです。
僕がロマンを求めるのはやはり奈良時代以前から縄文時代へ架けてのヤマト時代。
現在の天皇家は伊勢神宮のアマテラス様が始祖神ですが、記、紀事態が先に述べたように意図的に編纂されているため、矛盾が多かったりします。
じゃあ、アマテラスの親父のイザナギはどうなんだとか、兄弟のツキヨミは何処行ったとか、本当にスサノウと兄弟なのかとか、とかとか。
そこでまた一冊本を購入。
葬られた王朝―古代出雲の謎を解く/梅原 猛

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いやー、これ高かったなー。
確か、今年の正月にNHKで日本と韓国の歴史ドキュメンタリーやってて、確かに朝鮮半島と日本は密接な歴史を築いてきたのだが、興味深かったのは、日本海も貿易が盛んで、偏西風を使えば意図も簡単にお互い行き来出来たというのです。
それは渤海です。

僕の親父方の親戚は福井に縁が多いんです。
きっとね、今は太平洋側の県や町が栄えてるけど、古代は日本海側が想像以上の栄えていたと思うよ。
出雲はその中心だったろうね。
で、妄想するに、渤海経由で日本にやってきた民族は福井の若狭辺りからやってきて、滋賀の近江に入り、奈良へ入ったルートも絶対あったと思うね。
朝鮮半島から九州に入った民族とは違うルートがね。
話が長くなるので今日はおしまい。
自身の壮大なルーツ探しをしているような気分になってきたぞ。