国産みは生国魂神社から① | 空堀ホイホイ

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先日「小沢一郎はアテルイの末裔か」という記事を書いてから何件かその検索でこのブログにたどり着かれておられる。

http://ameblo.jp/sasaking0426/entry-10499932410.html

本気で歴史の研究をされている方が読まれれば稚拙な文章、並びにまだまだ知識や洞察が足りないと感じられるだろう。

これを機会に貴重な情報やご指摘を頂ければ有り難く思います。



ココ数年、自分でも気持ち悪いくらいに歴史の真実に興味が沸いてきました。

大阪市内で十数年暮らしているのだが、「なんでこんな場所に神社が」とか「なんじゃこの地名」とか普段から疑問に感じることが多々ありました。

このブログのタイトルの「空堀」は今住んでいる空堀町からそのままつけました。

この辺りは戦争の空襲でもあまり被害が出なかったようで昔ながらの下町感が残り、最近では木造の長屋をお洒落なカフェバーなんかに改装して若者に人気のスポットになりました。

空堀の地名の由来はココから少し北に位置する大阪城のお堀がこの辺りにあったとこからついたようです。

その大阪城の南には難波宮跡があります。

更に南に谷町筋を下ると四天王寺があります。

この地は昔から権力の中枢が目をつける土地だったのでしょう。

更に過去を遡ればこの地域、「上町台地」は堺市辺りから今の大阪城辺りまで伸びる半島であったようです。

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http://www.ne.jp/asahi/q/tarou/b71-uemachidaichi.htm

大阪城の場所には元々「生国魂神社」が鎮座されていました。

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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E5%9C%8B%E9%AD%82%E7%A5%9E%E7%A4%BE

生国魂神社はまだ神武東征以前からその地に鎮座され、この地の産土神として祀られていたようです。

つまり縄文人の自然崇拝の対象、象徴とされていたようです。

その自然崇拝が今も残った神社で最も有名なのは奈良の大神神社ですね。

拝殿の背後の三輪山を御神体とされています。

最近ではその地域の箸墓古墳が卑弥呼の墓ではないかと騒がれています。



話を生国魂神社に戻します。

豊臣秀吉がその生魂さんの鎮座されていた場所に大阪城を築くため生魂さんを現在の谷九辺りに移されました。

生魂さんで有名なのは近松門左衛門の文楽、浄瑠璃の舞台となった事で芸の神様として祀られています。

他にも様々な神様が祀られています。

航海の神様、包丁の神様、女性の守護神、巳さん。

浪速の街らしいです。

そして神武東征により朝廷の影響によりアマテラス様も祀られています。

伊勢系ですね。

然し、そもそもはこの地の国産みの象徴とされていたようで、それにあやかりたく、様々な人達が様々な神様を祀ってきたと推測します。

大阪と言えば住吉大社の方が有名かもしれませんが歴史の古さは生魂さんの方が古いです。

これ、地元の大阪の人も案外知らないんです。

これは穿った見方なのだが神社、仏閣というのは時の権力者の権威の象徴だったのでないだろうか。


実際、現在の生魂さんにお参りに行くと唖然とされると思うのだが、なんとラブホテル街に囲まれて鎮座されている。

個人的にはそれ程信心深くないのだが流石に呆れる光景に目を疑う。

生国魂神社の近所に実家のある知人に尋ねると、元々その辺りはヤクザ、任侠の人が多く暮らしており戦後、地上げなんかがあったんだろうと言ってました。

大阪の歴史を調べていくと現在の状況は実に残念極まりない。

まるで生魂さんが何かの圧力によって押さえ込まれているように感じる。



大阪に暮らし、この街をこの上なく愛しているのだが、どうにもこの街は何か結界みたいなものが施されている気がするのだ。

この記事はシリーズ化しようとおもっているのでまた色々と調べて報告していきます。