行ってまいりました。
本日行ってまいりました。
イースタンユースのライブに。
社会人に優しい19時30分開演。
早春の嵐は治まったか。
早春の嵐は治まったか。
足早に職場を後にし、荒れ果てた痕の大阪の夕暮れの空を見上げた。
遂にこの日がやって来た。
去年の夏の夕暮れは台風一過の跡。
時を結び、景色を溶かした。
この半年の中で何を失い、何を手にした。
そんなもん、、
知るか。
そんなもん、
忘れた。
19時30分。
定刻どおりに心斎橋パルコの8階にイースタンユースの3人は現れる。
「そんな簡単に死にません」
「憎まれっ子世に憚る」
吉野さんの挨拶がわりの皮肉はフロアに集まった皆に温かく受け入られ次々に
「お帰り」
「退院おめでとう」
の歓声が飛び交う。
一曲目。
矢張り去年発売されたアルバムの冒頭を飾る「一切合切太陽みたいに輝く」が心斎橋上空にて轟音で奏でられる。
痛快である。
そこに鳴らされる音はロック。
石の如く、ロック。
一言一句、今、そこで放たれる言葉達は、吉野さんが過去に綴ったものであろうが、曲たちが演奏される度に、容赦なく、その瞬間になる。
爆音の演奏の中に、微かに、みんなが一緒に歌っている声が聞こえる。
俺も歌った。
胸が熱くなった。
そして涙が零れた。
それぞれの想いを持ち寄って本日、みんな此処に集まったのだ。
尊い音楽が人を呼ぶのだ。
本当はCDもテレビもパソコンも要らないのだ。
唄があればそれでいいのだ。
僕は歌う。
あなたも歌う。
みんなが歌う。
ソレダケの世界。
今日イースタンユースのライブを見て感じたのは
生と死と、色気、であった。
40を過ぎた男達が奏でる爆音。
その中で叫ばれる言葉達。
それらを放つためだけに男達の肉体は保たれていた。
やはりロックはまだまだ最新型の表現手段である。
MCで吉野さんはこう言い放った。
「俺たちは路地裏からここに現れ、そして路地裏に帰っていくんだ。そうだろう?」
ライブ中、俺の中でイースタンユースの音楽に救いを求め、答えを求めていた自分と、どう対峠すればいいか悩まされた。
本編終了後の一回目のアンコールで「夜明けの歌」が奏でられた。
まだ歩けますか?
まだ笑えますか?
だから俺たちは大丈夫。
きっと大丈夫。
終演後の大阪の街は相変わらずの喧騒。
そろそろこの街を故郷と呼んでやろうか。
こんな薄汚い街の中で暮らしていても、たまに綺麗な涙を流したりするんだぜ。
そして続いていくのだろう。