友の命日 | 佐々木モトアキOfficial Blog〜感謝と覚悟とケセラセラ〜


今日は旧友・ミチロウさん(享年43)の命日。
音楽と酒が大好きな男。
2歳年上の兄のような人だった。
僕がまだ高校生だった頃…当時、福岡の大学に通うために熊本県の八代から出てきて博多に住んでいた彼。
僕がデビューして上京した後も、実家マンションにも遊びにきて、酔っ払って僕のおふくろ(母・当時47歳)にハグして!?キス!?するほど“打ち解けた仲”だった。
ってか、この写真笑えるわぁ…人んちのおふくろを!(笑)




ミチロウさんは、90年代以降、香港で仕事をしながら、香港の女性と結婚し、英語と広東語と九州弁をしゃべっていた。
THE HUNDREDSが香港でライブを演ったり、映像作品を街中でゲリラ撮影できたのも彼の協力なしでは経験できなかったこと。



そんな彼が2011年の1月24日、43歳の若さで病に倒れ…逝ってしまった。
数年前(僕が博多に戻って2年間程暮らしていた頃)には、長崎のボス・工藤ちゃんとも一緒に酒を酌み交わし、僕等は同世代の親交を深めながら、音楽・生き方・色んな事を話していた矢先だった。
亡くなる少し前まで、香港から連絡をしてきては
「山善さんは今、ブルースバンドもしよるっちゃろ?」
「HEATWAVEの新譜が出たら送っちゃりやい!」
「お前はいつになったら歌うとや?楽しみにしとうけんネ!」
などと、香港にいながら九州弁をしゃべり、九州のロックを最期まで愛して旅立っていった。
待たせたね…俺また歌うようになったよ、ミチロウさん。




僕は十代のはじめの頃、RCサクセションと出会ったのをきっかけに、洋邦楽と様々な音楽を聴き、地元・博多で活動していた山善やゴジラやヒートウェイヴやモダンドールズのステージに憧れてロックを演り始めた。
彼等と出会わなければ「この道」は歩んでなかったし、「こんな生き方」を選択していなかったと思う。
それ程までに憧れ影響を受けた先輩達が、それぞれのきっかけや想いを胸に、ここ数年で復活・再始動をしている。
歌謡界やポップス界によくある懐かしのアレではなく、「今」しかできない、「今」だからできるクオリティーとアティテュードで臨んでいる姿が素晴らしい。

大場さん率いるKING BEE(ex.THE GODZILLA)の再始動は、本当に嬉しい出来事だった。
山善は、音楽・絵画と変わらぬ才能&パワーで活躍中だ。
今は亡き佐谷さんの魂を蘇らせるようなステージを時々演ってくれているMODERN DOLLZの色褪せないメロディが大好きだ。
洋先輩の“志”、そしてHEATWAVEの魂を揺さぶるような楽曲と歌を尊敬している。彼等だけに限らず、九州のミュージシャンや仲間達が音楽を通じて様々な人達と出会いながら、それぞれに九州を想い、九州もんの魂を発信し続けていることを誇りに思う。

誰もが等しく「過去」には戻れん。
誰にでも等しく「時間」は流れてゆく。
そして誰にでも等しく…いつか「さよならの日」がくる。
それぞれに残された「時間」。
子供達に繋ぐ「未来」。
そして、今年もまた…この歌を聴きながら。


♪「ブラインド越しの俺達」作詞・作曲/佐谷光敏(MODERN DOLLZ)



ブラインド越しの街のざわめき
確かどこかで聴いた浮かれた声がする

夢を語り飲み明かして歌を歌ったあの頃のMy Friend
子供のようにただ無邪気で怖いものが何もなかったMy Life

知らぬ間に汚れてしまった俺さ
何もわかっちゃいないままに
時間だけがすり抜けて行ったTime waits for no one

親父になって、はにかんでた友達
ガードレールの底に行っちまったと友達

そして手紙もないままに今、行方もわからないMy Friend
同じ夜を迎えながら、みんな違う夢を見ているのさ

知らぬ間に離れてしまった俺達だけど
センチメンタルとは今夜でさよなら
もう一人で行かなければならない…Time waits for no one

いつも俺達が、ふきだまったあのライブハウス
今は面影もなく安酒場になっちまった

思い出は心の中に、思い出の場所は消えていくものさ
友達は喧嘩もしないのに、みんなみんな離れていってしまった

ブラインド越しの俺達の幻が
夜の静寂の深みの中に
遠ざかって消えてしまった…Time waits for no one