ご家族の手紙にはコメントをつける必要がない。必死の叫びを聞いて、一緒に声を挙げていただきたい。“北朝鮮は拉致被害者を全員返せ!”と。

[調査会NEWS 850](21.11.8)
■鳩山総理への手紙(中村三奈子さんの母、中村クニさん)

内閣総理大臣 鳩山由紀夫様             2009年11月2日

                      特定失踪者 中村三奈子(母クニ)
拉致問題の早期解決を


$拉致被害者救出荒木調査会代表支持勝手連-nakamura
 娘の三奈子は、1998年4月6日高校を卒業してまもなく、突然行方がわからなくなってしまいました。いなくなった翌日韓国のキンポ空港に入国していることがわかりました。
なぜ、韓国へ行ったのか。誰と・何のために・どうして。

 私たち家族には疑問ばかりが残ります。

 日々娘の事を忘れるときはありません。残念でたまりません。

 調査をしてみると、高校を卒業したばかりの娘とは思われない疑問が残り、第3者の中年の女性の関わりが考えられます。

 日頃の様子から想像することができません。

 特定失踪者問題調査会からは、拉致の可能性を完全には排除できない失踪者として公表していただきました。

 拉致問題が一刻も早く解決したならば、多くの特定失踪者の方々もどんな状況でおられるかはっきりすると思います。

 先ごろ、皆様のご努力で、蓮池さんたちはじめ、地村さん、曽我さんたちのご家族が無事日本の地を踏むことができました。また、飯塚耕一郎さんと金さんとの対面が行われました。まだまだ未解決がたくさんあります。飯塚さんは、30年という長い間お母さんの帰りを待っておられます。飯塚さんと同じように拉致被害者・特定失踪者の全ての家族のかたがたもみな同じです。夢にまで見ながら皆さんどんなに待っておられるか良くご存知と思います。

 毎日どんな思いで家族は居られるか。ただただ家族に会いたい・娘にそして、息子に・子供に会いたいというごくあたりまえのことなのです。会って抱きしめたいと思うことです。

 さらに、居なくなった人たちは、どこで毎日どんなに苦しんでおられるか、想像を絶するものと思います。

 私の娘も高校を卒業したばかりの明るい18歳の娘でした。ミツ網をして毎日学校に通っていました。その娘も行方がわからなくなって11年が過ぎてしまいました。その間一回も連絡もなく、情報も得ることができません。いったい娘に何が起こったのか想像もつきません。

 今娘は、30歳になりました。どんなに思っても幼いときの娘を思い出すことはできても、現在の娘を想像することはできません。声をかけてあげることさえできません。

 是非一刻も早くこの拉致問題を解決し、私たちのもとに家族を連れてきてください。そして、多くの特定失踪者の方々の存在も明らかにしてほしいと思います。

 そのために、少しでも私たち国民に拉致問題に取り組んでおられる姿を伝えていただき、早期救出を実現してください。どうぞよろしくお願いいたします。


$拉致被害者救出荒木調査会代表支持勝手連-posutar



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かつてはシベリアで、今は北朝鮮で、祖国に戻る日を待っている同胞がいます。
奪還しましょう。全ての同胞を!!


                 YouTube動画“異国の丘”

拉致被害者救出荒木調査会代表支持勝手連-arimotokokuso