「プロ」の落語家900人。


落語家でいることが「特別」ではなくなった。


先日の「こしらの集い」で、これだけの落語家が食べていけるのは何故か?という質問をした。

ここでは記さないけど、こしら師匠からは明確な答えをいただいた。



そうした状況の中で、敢えてそちらのターゲットを選ばず、新しいマーケットを切り開くという芸人人生を選ぶ。


「自分でなければできない」


しかも、チャンスはまだまだゴロゴロ転がっている。



こしら師匠から落語に入り込むという逆説的な入り口、の可能性はお手伝いしていてとても楽しく充実している。


芸人さんに乗っかるだけではなく、それに少しでも応えられるようなアンテナを持っていたいものです。



「みんな」が集まらない、振り向かないところにチャンスはある。



これまで皆さんそんな魅力を感じる芸人さんばかりで、これは奇跡的です。



「出逢っちゃう」感覚を大事にしたいものです。



来週水曜日も少し楽しみなことがあったりします。



人生のメインではないけどちょいちょい楽しませてくれる存在はありがたい。



「ラッキーライラック」のような芸人さんを見つけて、仲間と楽しませてもらう。


「柳家喬太郎」と言っても、世間的には知られてない。「喬太郎」よりも「落語」というワードの方がとてつもなくでかい。

そんな中、「落語」というジャンルの楽しさを伝えてくれるステキな芸人さんはたくさんです。


そして、どんな楽しみ方をするかは「個人的」なものなので逆に裾野はまだまだ拡がる。



昨日のやなぎさんの会が盛会とのお話を聞いて、とても豊かな気持ちになりました。


「満開」も「満席」も楽しい。

でも、「満席」という表現はなんとなく自己中な気がして少しだけ気が引けるんですが、自分が関わる会では調子に乗ってホイホイ使います。

なので、せいぜい「景気付け」ぐらいな感覚で使います。

時々妄想します。道新ホール満席の「こしらの集い」


でも、そうなるとこしら師匠の存在価値は無くなるんだろうなあ。






来年に向けて、そして「オチケンの落研への恩返し」におっちょこちょいがなんかやってみようと思います。