2011年3月11日

14時46分

その時僕は

幕張メッセで行われたドラックストアショーを後にして

ららぽーと幕張のREGALでビジネス用の革靴を試し履きしていました。


緩い横揺れを感じながらも試し履き


徐々に揺れが大きくなり始め





⁉️



阪神大震災で震度6強を経験した僕には



その大きな横揺れも最初はやけに冷静だった事を覚えています。



大きいんだけれど



ゆっくりとした大きな横揺れであって



お店から外まで10mぐらいで


すぐ出られたから余裕も持てとのだと思います。



しかし


お店を離れ外に出た時に見た


ビルが倒れそうな様子


そして


ガラスが割れて落ちてくる様子は


今でも忘れられません。


当時の思いを昔のブログにしたためてましたので、↓ここにご案内します。

一秒の尊さ
元イタリアン芸人商社マン!佐々木カルパッチョの『日々いっぱいいっぱい』-IMG_5359.jpg

今まで


生きてきて


こんなに悲しい気持ちになる事は無かった。



こんなに人間を無力に感じた事は無かった。



こんなに自然が恐ろしいと感じた事は無かった。



今生きている事



今テレビ見てる事



今ご飯食べてる事



全てが奇跡で成り立ってます。



先日ある方がおっしゃってました。



この国の為に、自分はどれだけの事ができただろうか?



今のこの国を築いてくれた先人に胸を張れる生き方できてますか?




一所懸命生きてますか?



って。



地震があったあの時僕は屋内にいました。



幸いすぐ外に出れました。



避難所で一晩過ごしました。



縁もゆかりも無い僕に



暖かい毛布と暖かいおこわや
おかゆを振舞ってくれました。



人は人によって磨かれ



人の優しさによって、立ち上がれます。



憂う人の横に立ち続けられる




本物の優しい人間になり



今生きているこの一秒を



命を懸けて生きていきます。



それが日本の未来に繋がると信じて。


おわり↓



REGALを出た僕は、


安全を確保し余震の激しい中


歩いて150mの海浜幕張の駅を目指しました。


しかし、既に駅には黒山の人だかり。



駅員さんに聞くと復旧の目処は未定。



チラつく雪に



どこまでも続くタクシーへの長い列



この場所でこの寒さ。



どこへ行けばいいのか?




あてなどもちろんありませんでした。


周りを見渡すと帰宅難民で駅前は溢れ帰り


いつしか寒さを凌ぐために


駅前にあった雑居ビルに避難する人々


見兼ねたゲームセンターの店主が


お店を解放してくれて、


あったかい店内で


味噌汁とお茶など自販機の飲み物を解放してくださいました。


しばらくすると


海浜打瀬小学校が避難所として解放される


ということで、小学校へ移動。


そこで食べた非常食は今でも震災時の非常食として、我が家に10食分蓄えてます。


地震があったあの夜のように寒い


3/11でした。


あの震災を思い返し


自然への無力さを感じたあの日から


4年経ちました。



あの時は会社員として駆け出して一年



今再び、イタリアン芸人として迎えた今



自分に何ができるんだろう⁉️


それを、考えてあの日湧き上がった思いに対する僕なりの答えを出します。

3月20日
RELATION vol.1
@六本木morphTokyo

そして

3月21日
東日本大震災チャリティLIVEふっかちゃんだよ全員集合2015
~ゆる党xアフィリア・サーガx寺嶋由芙x紗々~
@深谷市民文化センター


二つの東日本大震災チャリティLIVEに出演します。


{326F585C-CBAC-4471-BA6C-2402578E6817:01}

{7BA62E36-BE2B-499F-ADBA-A43BCD346613:01}

東日本大震災から4年と1日目


今やれることで


明るい未来を創る。


それがカルパッチョの


被災地支援です‼️