ほいな。信濃町から歩いて10分は、アートセンターコンプレックス。
stella nova は、平城允章さん。
ん~、なんだろ、懐かしいこのノリ。
テキトーな説明がササロックの肌に合うのよさ。
ま、
聞いてるほうと語られてるほうはたまったもんじゃないだろ!
という突っ込みを静かに聞き流せる悟りの境地。
ふむ、ほんとはね、地下の立体展(?)見に行ったのですがね、
それはそれでよかったのだけど、インパクトはね、平城さんの方がね。
うん。なんというかね、合同展覧会のはがきに載ってる作者名とね、
タバコをくわえた、人生の道のりをしわに刻み込んだような、
ササロック好みの初老の男性の絵のタイトルが同じというね、
自画像かいな!∑(゚Д゚)
自画像にしては右手も左手も自然体よ。
鏡見ながら描いたわけではなくて、写真か何かをベースにしてるのかしらん。
(微妙にタバコもってる手が硬いのはそのせいかしらね)
いやね、何で自画像でこんなに驚いてるのかというとですね、
飾られてる絵のタッチというか画風がね、もうね、何も説明なければ別人が
描いたのだろうと迷わず判断するほど、自由。
まあ、そりゃ、模写をベースにしてるんだから当然っちゃ当然なんでしょがね、
そーゆーレベルの話じゃなくて、根本というか根幹が、ね。
筆致を変えてもにじみ出る本質的な共通性、の逆?
個人的には「青いターバンの少女」の模写が好きです。
これが贋作だとして本物と隣同士に並べられたら真贋は迷うべくもないのですが、
いや、実はササロックはフェルメールの実物を見たことがないのだけれども、
あれだけ生々しくテラテラしてたらね。
なんかね、あのテラテラ感が個人的にはよかったのですな。
顔の向きも実物より少しだけこっち側に大きく向いてたし、目の雰囲気が
日本人がイメージするところの「エキゾチック」な感じがしてね、
絵画というよりは写真っぽい立体感に、イラストチックなシンプルな曲線と
色味をブレンドしたようなね、浮遊感というか絵としての躍動感というか、
沈んで固まった感じではなくて、じっと見ていると動き出しそうな流動性?
ん~、、、なんというかね、シンプルな模写のはずなのに、こう生き生きと
訴えかけてくる部分がね、楽しいのですな。
ふむ。。。
前にも増してボキャ貧?Σ(゚д゚;)
どうしてボキャブラ 減るのだろう
自画像とのタッチの違いというか、コントラストがね、ワクワクするのよね。
自画像は自画像で、淡い感じが、煙のむこうに見える青春の思い出みたいな、
浸るつもりのない過去にふと立ち戻ってしまった忘我の一瞬から戻ってきた瞬間、
みたいな生々しさと枯れた感じの同居がね、素敵よのさ。
正直それ以降の左の作品に比べて、インパクトというか、充実感というか、
濃度というか密度というか、二つ並んでる空間がオーラを放ってた気がするのよね。
さて、来週の土日はデザインフェスタのようです。
そろそろササロックも批評眼をとりもどさないとなあ。。。