選挙が終わり、GWを迎えた頃は、ようやく少しはあの日々を振り返られるようになるかと思いきや、次々と災いが舞い込んで来ます。厄払いに行かないけませんね。
でも、神様は乗り越えられない試練は与えない...その言葉を信じて頑張るしかありません。

さて、改めまして、1期目の4年間を振り返ると本当にしっちゃかめっちゃかでした。そして、取材を受けた時、テーマとして必ずと言っていいほど挙げられるのが、
『女性が議員という仕事をやるのは難しい(のでは?)』
これは、伊藤前市会議員ともお話をさせて頂きましたが、経験的にはそこまでの難しさはないというのが自論です。というのも、スケジュール調整についてかなり融通が利くからです。
あとは、『妥協』によりコントロール出来る要素もかなりあります。

私はこの4年間、前述の通りスケジュール調整が可能な限り、仕事は必ず18時までには切り上げることをモットーとして来ました。
来賓でご招待頂いた会合や、1年に1度程度の子育て関係の会合などは、数少ない例外もあります。
維新関係では、市会議員1期生の食事会は参加しても2回に1回だけ。会合も最初の1時間だけの顔出しに留め、プライベートで夜に子なしの飲み会などに参加したことはほぼ皆無。友達がいないだけかもしれませんけど。笑
後援会や支援者の方々との食事も全て、やんわり・きっぱりお断りしてきました。

なぜそこまで徹底させたか、、、それは、そこまでして時間を割いても、普通の家庭より子どもと一緒に接する時間は短いと思います。1分1秒でも長く子どもと触れ合うためには、心を鬼にしてまで家庭の時間を確保したかったのです。誰にどのように思われようとも、誰に強制された訳でもなく、私自身でそのように決めました。

思うに、このようにマイルールをしっかりと決めないと、議員の仕事や雑事は延々と、そして永遠に続きます。東京の女性議員の方も、これが悩みで再出馬を辞退された方もいらっしゃいました。
結局、NOと言える勇気を持つことが、実はこの4年間で私が学んだことかもしれません。

それを思えば、男性、女性問わず議員は夜のお付き合いも立派なお仕事として扱われると思います。もちろん、男性議員の中にも私に近いスタンスで臨まれる方々もいらっしゃいますが、全ての活動には集票に繋がる要素がある以上、それを制限している私にとっては、どのような形で返って来るのか不安だらけでした。
皆さんの姿が、また色々な意味でキラキラと輝いて見えて羨ましいという思いもありました。

私はそんな中、夜の活動はさておき朝はシッターさん(6時過ぎ〜8時なので子どもたちはほぼ眠っている時間に活動できるんです)からのサポートを受け、駅立ちは比較的定期的に行わせて頂くことが出来ました。
本当は夕方も特売などの集客時間帯にスーパー前で立ったりと、色々としたいことは盛り沢山でしたが、やはり、私みたいなタイプは、どこかで線引きをしなければならないと思います。

仕事を理由に子育ては他人任せにして、子どもがいつ立てるようになったか分からない、オムツがもう取れたのか、お箸遣いは上手になったのか、我が子なのに何にも分からないお母さんにだけはなりたくないと思って、決して揺るがすことのないマイルールを貫き、ここまで来ました。
他の議員よりもトータルでの活動時間はもしかしたら短いのかもしれません。しかし、事務所でいつも話していた言葉は、最後は有権者の皆さまの判断だと。

こんな調子で夜の活動には疎いままで過ごして来たため、選挙期間も夜は何をしていいのか正直、分からず、結局早朝から活動!夜は子どもたちと一緒に寝るスタンスを貫き通しました。

選挙最終日は最後のマイク納めには娘たちも一緒に参加してくれました。

選挙期間最終日だけはいつも午前零時直前まで駅立ちするので(拡声器を使わない限り日付変わりを迎えるまでは適法です)、娘は先に帰宅しましたが、毎日お世話をしに来てくれていた母が困ったそうです。曰く、
玄関前で泣きわめき、ママのところに行くと大絶叫!
とりあえず、無理やりお風呂に入れたらしいのですが、結局髪は洗わせてくれない、パジャマは着ない、また私服を着て玄関で私のことを零時前まで待っていて、最後は力尽きたそうです。

その話を聞いて、ずっと、ずっと、ずっとこんな小さな体で我慢させていたんだなーと胸が痛みつつ、娘は娘なりに自分の境遇を理解し、周囲の大人と同じように、私のための役割分担を果たそうという思いを芽生えさせて来たのだなと目頭が熱くなりました。
いつも、ママお仕事頑張ってねと応援してくれる娘。
それをしっかりサポートしてくれている、主人、住之江のお母ちゃん、後援会長をはじめ後援会の皆さま、事務所スタッフの皆さまに感謝しています。

東参議院議員も私に対して思うことは盛り沢山だと思います。
でも、この4年間何一つ小言を言われることはなく、私の活動を尊重して、ただただ温かく見守って下さいました。本当に感謝です。

私が議員になるという思いを漠然と抱き東京へ出て来た10年以上前から一緒に居た3匹の愛犬の内2匹が既に亡くなりました。
最後の愛犬ぽーちゃんが、GW最終日に倒れ、生死の境を彷徨っているときにドクターから最期を看取ってあげてと夜遅くに電話があり、家族みんなで泣きながら駆けつけました。
主人は、令和初日にレースで事故を起こし、ぽーちゃんが俺の命を代わりに守ってくれたのかな?なんて話しながら会いに行ったものです。
命について色々考えさせられた機会の一つです。

命についてまで話を広げましたが、1日1日を大切に過ごすことに他なりません。これからも、ワークライフバランスを考えながら、家族を大切にし、政治活動、里親なども含め、私にできることをこれから4年間全うします。