住之江の皆さまには、貴重な9314票という私には今でも信じられない多くの票を頂きました。

改正された公職選挙法上、このネット上だけでしか、皆さまへありがとうございますとお礼の気持を示すことが出来ません。
代わりに、毎日、これまで朝立ちさせて頂いた駅でご挨拶をさせて頂きました。元気一杯のこのご挨拶にお礼の気持ちをしっかりと込めて、これからもご挨拶させて頂きます。

住之江へ居を移してから、東徹参議院議員とのご縁を頂き、後援会の皆さまに支えて頂き、
妊娠期間は、小さな段差につまずかないよう、選挙カーに乗り込むときまで細かい点に気を遣って頂きました。そのお陰で、産後も私なりに悔いのない政治活動を行うことができました。
商店街の皆さまから毎日、温かい言葉をかけて頂きました。当選したら、皆さんは自分のことのように当選したことを喜んで下さいました。

この戦い、スタートは厳しく辛いものでした。支援して下さる政党関係者の方々以外には、住之江には全く知り合いがなく、孤立無援から始めなければならない寂しさも感じました。
しかし、やがて、雨の日でも一緒にずぶ濡れになって戦ってくれる仲間や、大量のポスティング作業をやって下さる有志の方々、何か手伝うことはないかとお電話を下さり、内職を家でやって下さる方々も。
東京時代から支えて下さっている皆さんも、今回も仕事を休み、泊まり込みで応援に駆け付けて下さいました。懐かしく馴染みの深い一人ひとりのお顔に、心を励まされました。

この大阪から、絶対に日本を元気にしたい、その思いで、本当にそこに一切の利害関係はないのに、一人ひとりが手弁当で奮闘して下さいました。
皆さん、本当に心は1つ、"One 大阪"へ向かっていたのです!!

りえちゃんはなんでそんなに頑張れるのかと、よく訊かれます。本当に、何度も何度も同じ人たちから。
それは、皆さんが、自分には何も見返りがないのに、私と一緒に走り回り、共に戦って下さったからです。その姿が私の原動力になり、必ず勝ってご恩返しをし、議員バッヂに見合った相応しい仕事をしてご恩返しをするという気持ちを高めることで、今日までやれて来れたのです。
周りの皆さんには、少し休んだ方がいいよと何度も言われています。しかし、私は二度の落選を経験しています。ですから、次を目指すべきなのに止まることが本当に怖く、とにかく1日も休むことなく走り抜けるしかないのです。

子供がいるのに、よくそんな声を耳にしました。
しかし、現実世界では、0歳児の子供を保育園に預けて働きに出ることが避けられない人も居るという現実があります。その人たちの気持ちを少しでも汲み取るためには、自分も同等の経験をしなければなりません。

私は当選したら、何をしたいか訊かれてきました。もちろん子育て支援です。
しかし、子育て支援と言っても、0歳児の子供を保育園に預けなくても生活できる、大阪を・日本を再び経済成長させ、在宅で子育て出来る、かつてのような元気で強い日本を目指せるようなグローバルな支援を目指すことが目標です。

私の子供は可哀想とたまに言われますが、私は全然そうとは思いません。
ボランティアのお母さんたちから沢山の愛情を注いでもらい、皆さん、自分のお孫さんやお子さんのように可愛がって下さり、百花は日本一幸せ者だと考えています。
この子も、きっと将来分かってくれると信じて、私は目指す道を共に娘と主人とで頑張りたいです。

この戦いで本当に感じたのは、秘書さんだけが凄いのではなく、周りのボランティアの皆さまが更に凄いということです。報酬の発生する仕事でもなく、嫌ならば逃げても責められない、なのにそれでも留まろうとするそんな無償奉仕の精神のパワーを、間近に感じました。
そのパワーを分けて頂いて、皆さまの代弁者を目指して邁進します。
新聞にも書かれていましたが、決して『佐々木先生』(笑)ではなく、一生りえちゃんでお願いします。
東参議院議員のように、幼少期から知る方々から『とおるちゃん』と呼ばれる、誰からも愛される議員になりたいです。

本当に、ピンクの帽子を被り支えて下さった皆さん、東会のみなさん、すみれ会のみなさん、後援会の皆さん、演説会に来て下さった皆さん、駅でおはようと声をかけて頂いたみなさん、商店街のみなさん、1票を投じて下さった皆さん、私に関わって下さった全ての皆さまへ、心より・心から、深く感謝申し上げます。
ありがとうございます!!!