舞踏遊戯その3最後
とまあ、なんやかんやでMVも撮って
インストアもやってリリパもやって
デイリー4位になって
とりあえずは無事にもろもろ終了いたしました
この舞踏遊戯の一連のプロジェクトの中で
僕は初めてKOTOちゃんのプロデューサーになれたのかなーと
どっかで他人事だった今までとはちがって
大部分を僕の好きな様にさせてもらったし、満足いく事がやれましたし。
そのぶん、ここが良くない、ここをこうすればっていうのも
ダイレクトに感じましたし落ち込んだりしましたし
そんな中でずーっと毎日、自問自答の日々で
捨てたと思ってた感情もたまにひょっこり現れますし
そんな出来た人間じゃねーですから
でも「あっ」て気づいたら結構なとこまで歩いてきてて
これ1人じゃ帰れねーなって感じの
この感覚を共有できそうな人がいないのがちと寂しいのですが。
と言うわけで?
舞踏遊戯リリースイベントにながらくお付き合い、そして何より楽しんでいただいた皆様に
大きな感謝と大きなリスペクト!!
そして俺の頭の中に産まれる曲のかけらを、最高の形で作品にし、
みんなに届けてくれるKOTOちゃんに、全身全霊で感謝。
さてどーする?
うん、そーだね。
終わりじゃないんでしょおおおお?????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????
おわり
舞踏遊戯その2
前回の続きから
そう、どうしても俺ひとりで作りたかったの。
ひとつの区切りとしてね。
別に病んでるとかかまってちゃん的考えじゃなく
もう俺が関わるのは最後にしようと思っていたので。
そうなると意外と固くなっちゃって曲できないんだろーなーと思ってたんだけど
スルーっと出来まして
きっとKOTOちゃんはもっとかわいい曲を望んでたと思いますが
(実際そう言ってた気もするし、曲の反応もあまり良くなかった)
僕なりの、2年間の想いを詰め込んでみました
これは昔からあんま変わってないと思うんですけども
別にKOTOちゃんの前でいいかっこしようとか良く思われようとかも無くて
その時その時思った事をそのまま、脳に浮かんだ言葉で伝えていて
細かいニュアンスとかはすぐ忘れちゃうので
まあよく怒られますけども
ほんのちょっとだけ変わったのは
まあ、多分わかってくれるよなーって思えるようになった
かな。
他人の考えなんてわかんないっすよね、
もっと肩の力ぬこうよ
舞踏遊戯の世界観は、KOTOちゃんが漫画の主人公だったら
こんな感じかなーと
なんかこの人に託してみたくなりません?
いつもライブの前とか「今日大丈夫なんか?!」って思う日は良くあるんですが
最後にはバチっと決めてくれるというか
良く、ライブ中倒れても音は絶対止めるなって言われてるんですけど
この人は産まれ持ってのファイターなんだなあと
こんなドラゴンみたいな女の子を操るのであれば
もっと自分が強くならねば
強くなるというか、ひとつ感情捨てるくらいしないと
こっちが死んじゃう!って感じで
ある程度決意するとまあ、ちょっとは楽ですよ
やるだけなんで
まあ細かい交通整理もしないとな状況だったので
それはちょっとほんとにしんどかったんですが
あー、どこまで書いたかな。
めんどくせえからその3に続かせるw
舞踏遊戯その1
それでいて楽天的で、楽しかったり悲しかったりで。
そもそももう何年も生きてるけど、やっぱり自分のことすらよく分からないし
分かってるようで分かろうともしないし
10代の青春まっさかり、常に何かにおしつぶされそうだったあの頃から比べたら
ちょっとは強くなったのかなと思うけど
結局のところ、大人になった今は単純に選択肢が増えて
居心地の悪い場所からは離れることができるし
迫り来る壁をストップさせるスイッチもあるし何なら横にヒョイと逃げれば
壁に押しつぶされたりもしないし
産まれ持った、本来の自分そのものが強くなってるのかもよくわからない
むしろ弱くなってるかもしれないなどと常に頭を悩ませている
頭を悩ませていると大体1日が終わる
今日何かしたっけ?
タバコの吸殻と、スーパーの弁当の食べないパセリだけが増えてくよ。
前置きが長くなってしまったけれど表題の「舞踏遊戯」のお話。
ご存知?か知らないけどこの曲は僕がプロデュースしているソロアイドル
KOTOの3枚目のシングルだ
これはどこかで言ったかもしれないけど、ちょっと僕にとって特別な立ち位置の曲で
たくさんの想いが込められている
僕の「責任」であり「挑戦」だ
2014年に「くえすちょんくえすと」を書いた辺りから僕の生活はやんわり変わっていって
たくさんのアイドルに曲を書くようになったし
それから2年近くたった今、KOTOちゃん現場にはほぼ存在する「運営」みたいな立場にもなった
なっちゃった
なっちゃったって言うのは、別にこの日から「やる!」となったわけでは無く
なんとなく物販やってたらそれが毎回になったわけ
KOTOちゃんには1年で14曲?(企画物いれたらもっと)ぐらい作り続けたわけで
それでいて物販にいつもいる様な感じの人が
勝負の流通シングルまた作るって
なんか驚きもないし
どーなん?
って空気が製作サイドでは実はちょっとだけあったの
でも
絶対俺1人でやらせてくれ!!
って言ったのよ。言ったのさ〜。
その2に続く