おはようございます。
昨日大親友の「Jun」と電話をした時に、相変わらずのボケの応酬と今後やっていくことを話した結果、「海賊王になる」ということで着地した佐々木譲崇です。
#スーパーサイヤ人になりたかった
#海賊王に俺はなる
#小学生時代のあだ名 「メタルボディ」

 

「Jun」は色々な仕事を抱えていて、会社も経営していたり、花屋さんしていたりよくわかりません。
#何回か聞いたけどいつも覚えていない
#ごめんね


何をしているのかという部分は応援はしていますが、それよりも「Jun」といるのが楽しいので、僕は何をしているのかにあまり頓着していません。

来月ひさしびりに会う約束をしたので、無理矢理にでも予定を開けて羽目を外して楽しみたいと思います。

さて、今日の本題の「愛のあるお節介やろうになりたい」について話していきたいと思います。

 

「好意」という落とし穴

画像2

僕は、お節介には2パターンあると思っていて、「こうしてやった」という自らの好意を振りかざし、自己満のための手助けする時と、「こうしたら相手のためになるな」と相手のことを思って手助けする時です。

両者も相手のことを思ってやった好意なのに、その後の自分の感情と受け取る側の感情は変わってきます。

拒否をされた場合、前者の場合は「親切にやってやろうと思ったのになんだこいつ」と不快感を覚え完結し、後者の場合は、「何かあれば言ってくださいね」と次に繋げます。

 

同じお節介でも一方通行の行為には、愛はありません。
それでは、恩着せがましいだけ。
ただの迷惑行為です。


同じ行為をするなら、次に繋げた方がいいじゃないですか。

好意には、あなたの正義が元になっていますが、それが一方的ではいけないと僕は思っています。
だって相手のためになっていないから。

プライドという弊害

画像1

お節介は、結局のところ相手のことを思ってする好意なので、一方通行ではいけないと思います。
一方通行になってしまうのは、「恥をかきたくない」という変なプライドのせいです。
プライドがあるのは悪いこととは思いませんが、自己成長のためだけにプライドを持てばいいのになと思っています。

 

プライドはよく、自己防衛のために働いています。
集団の中に入っていないと不安だし、怖いから。
これは、僕もそうだしみんな同じだと思います。

 

でも、そこに相手のためにということを念頭におくと、プライドの操作ができると思います。
プライドは、使いようだと思います。
これを上手く使うことでもっと自分を成長することができると思います。

 

つまるところ、お節介は自分のためにする好意なんだと思います。
それなら多くの人を笑顔にした方がいいじゃないですか。
愛を持ってその人のためになることをする。
その和を広げたいと思っています。

僕からは以上です。