⚠️長文です




昨年末より、急な代行やサークル中止などで、大変ご迷惑をおかけしております。
いつも、本当にありがとうございます。
まだしばらく広島との行き来が続きますが、ご理解いただけますと幸いです。

2月1日、広島の父が他界しました。

家族の中でも、私が一番、父の気性や酒好きなところを受け継いでいると思います。
勢いはいいけれど、変なところが繊細で、義理人情に厚くて、でも不器用にしか生きられない。
そんな父が、私は好きです。

お互い若い頃は、些細なことでぶつかり合い、胸ぐらを掴んで喧嘩になりそうなことも何度もありました。
でも最近は、何だかもう「かわいいな」と思うようになっていました。

帰省していたときのことです。
自宅に来てくれたケアマネジャーさんに、父が
「娘が帰ってくると、家が明るくなるんよ」
と、照れながら嬉しそうに話しているのを聞きました。
あの時、初めて父に褒めてもらえたような気がしました。

私がまだ若い頃、大病を患い、半年ほど入院していたことがあります。
病院へ向かう私に、父は何の言葉もかけてくれませんでした。
「どうせ、病気になったことを理不尽に怒っているんだろう」
そう思っていました。

かなり後になって、母から聞いた話です。
私が病院へ行ったあと、父は居間でひとり背中を丸めながら、
「かわいそうにの…なんで、うちの娘が病気になるんかの」
と、ひどく落ち込んでいたそうです。

本当に、不器用な父です。

そんな父ですが、昨年のお正月あたりから体調が優れず、かかりつけの病院に通院していました。
大きな病院での検査の結果、「悪性リンパ腫」と診断されました。

すぐに入院し検査を行い、治療方針が決まり、6回の抗がん剤治療を受けました。
その甲斐あって、リンパ腫自体は良くなったようでした。
けれど治療の途中で胸椎を圧迫骨折し、痛みから食欲も落ち、体力もみるみる奪われていったように思います。

さらに昨年末、カテーテルなどから菌が繁殖したのか、急変し昏睡状態となりました。

私が朝一番の飛行機で病院へ駆けつけ、
「パパ、来たよーーーー!!!」
と声をかけると、うっすらと目を開けて、何度も私の顔を見てくれました。

前日から呼吸も苦しく、かなり辛かったようです。
駆けつけたときも、胸郭全体を使って必死に呼吸をしていました。
そんな状態でも、私が来るのを待ってくれていたのだと思います。

数時間後、父は家族3人に見守られながら、静かに息を引き取りました。

産んでくれて、ありがとう。
ここまで育ててくれて、ありがとう。
パパの子で、本当によかった。

まずは…
父には天国へ行ってもらい、酒盛りしながら、相撲と神楽を見てほしいです。
これからも、ママのことを見守ってね。

病院の主治医は、とても優しいお医者さまでした。
最後に思ったことを、お医者さまに聞いてもらったので、ここに残しておこうと思います。

医師の仕事・役割が、病気を根絶することであるのは理解しています。
若い人であれば、治療によるダメージから回復できる可能性も高いでしょう。

けれど、父のような高齢者の場合、
本人と家族がリスク――最悪の結果になる可能性――を理解した上で、

・健康寿命や日常生活を犠牲にしてまで、完全寛解を目指すべきだったのか
・完全に治癒しなくても、心穏やかに過ごせる時間を延ばす選択肢はなかったのか
・治療の途中でも、再考の余地はなかったのか
・半年近く寝て治療することによる体力的なリスクを、十分に考慮できていたのか

家族とお医者さまも含めた「チーム」として、何度でも考えるべきだったのではないかと、今も悔やまれます。

治療を受けてくれた父は、全力で病気と向き合い、「生きたい」と言っていました。
ただ、父の言う「生きたい」と、私が思う「生きる」は、少し違っていたのかもしれません。
それを、もっと話し合うべきだったと感じています。

「生きる」という言葉の意味を、改めて考えさせられています。

最後になりますが、
いつも父のことを気にかけ、声をかけてくださったお客様、
急な代行にも関わらず仕事を引き受けてくれた仲間、
迅速に対応してくださったクラブの皆さま。

本当に、ありがとうございました。

佐々木純子