何かをしながら何かをするという事があるやろ?
テレビを見ながらネットをするとか。
その時意味がゴチャゴチャにならへん?
いやそのテレビの内容についてネットに書き込んだり読んだりするのは出来るよ。テーマが1つやから。
そうじゃなくて例えばドラマ見ながら経済のニュース読んだりしてる時。
2つのテーマがゴチャゴチャするから結局どちらか理解してなかったりするやろ?
また音楽を流しながらテレビを見るという事は普通しないやろ?
音と音がゴチャゴチャするから。
前者は言葉の意味と意味がゴチャゴチャする例。
後者は音と音がゴチャゴチャする例。
これらは×混ぜられない娯楽の例。
それに対して音楽を流しながら本を読む事は普通に出来るやろ?
音楽と本は意味的ゴチャゴチャも音的ゴチャゴチャもないから。
これは○混ぜられる娯楽の例。
そして画集や写真集などの静止画をテレビにスライドショーで流すのも
他の娯楽と混ぜられる娯楽と言いたいわけや。
画像イメージやから意味的ゴチャゴチャと音的ゴチャゴチャがないから。
さらに音楽を追加しても
さらに画面を追加してもイケルし。
テレビで流される動画コンテンツは、たいがい音と言葉が付いているし、時間経過で意味を見せるからチラ見は出来ないので、混ぜる素材として適していないというかすでに混ぜられている出来合いのもの。
つまり動画コンテンツは画像+言葉+音がパッケージされたいわばシェフ(監督)が作った外食の料理のようなもので、静止画+音楽+言葉は自分でサッと作る家めしのようなものや。
動画の料理は他人まかせなのでマズかったら腹が立つし時間もかかるので、手を出すのに躊躇するから手軽にサッとフレキシブルにいきたいわけや。
その素材のちゃんとしたヤツをもっといっぱい種類をだせといいたいわけ。
フォトビューワーアプリをかゆい所に手が届くような仕様でプログラミングして世界の出版社や画家や写真家や権利者と交渉して画像をデータ化して宣伝してあと色々したらええだけや。