入院しているじーちゃんは善くなったり悪くなったりを繰り返していた。
その都度おかんはこっちへヘルプに来ていた。
その頃は学校から帰ってきたら、猫の様子を見るのが日課になっていた。
帰って来ると黒猫が出迎えてくれる事も当たり前になっていた。
別に『お帰り』と言ってくれる訳ではないが、ガレージの前でゴロゴロと転がり砂まみれになりながら、首だけ捻ってこっちを見るだけで、それで充分『お帰り』の挨拶だった。
足首に砂まみれの小さい頭を擦り付けてくれれば、言葉なんて必要なかった。
おかんが再び叔母達のヘルプに出て行った日のことだ。
ここへきて毎度の事なので、おかんがいないこと以外日常は何も代わりは無かった。
猫がいるから寂しくなんかない。
そう思っていたのに。
いつも出迎えてくれる黒猫、もしくはキジ猫がいない。
猫が出入りできる程度に上げてあるガレージのシャッターが不自然な高さまで上がっていた。
あるべき場所にあるべきものがない。
ガレージの奥の輪留めのところにある段ボール箱が無くなっていたのだ。
帰ってきた弟と探した。
でも、段ボール箱と、そこで成長していた小さな4つの命はどこにも見当たらなかった。
盗まれたのだ。
キジ虎ごとだ。
盗ったやつは、黒猫がいない間いつも箱の中にいたキジ虎を親だと思ったに違いない。
おかんに速攻電話して『猫どこへやった!!』と聞いたが、おかんが知る筈も無い。
おかんが出て行った時はまだ猫はいたのだから。
電話を切って外へ出たら、黒猫が血相を変えて走ってきた。
鬼のような表情だった。
叫ぶような声は悲痛で、『子供がいない!子供をどこへやった!!』と訴えていた。
黒猫のお乳はパンパンに腫れていた。
子供を産んだ方なら、一度は経験あるのではないだろうか。
『乳が張る』
これはヘタすれば熱がでるし、とにかく痛い。
黒猫は足にしがみつくように身体をこすり付けて、なんとしても返してくれ、見つけてくれ、どこにいるんだ!と叫んでいた。
でも、それはこっちのセリフだ。
こっちもパニックだった。
どうしてもやれない。ただ、謝るしかなかった。
それから一度もキジ虎は帰ってこなかった。
黒猫は3日間通ってきた。あちこち探すようにウロウロとしていた。
でも。
4日目以降、来なくなった。
その後、たまにゴミステーションの辺りで見かけることはあったが、決してこちらへ駆け寄る事もしなければ、見ることすらなかった。
おしまい。
ささらの忘れられない夏の思い出でした。
今でも、人の敷地へ黙って入って、黙って持って行ったことは許せない。
そんな事をしたヤツは、ろくな人生歩んでいないだろうと思っている。
思うことは多々あるけど、この経験は動物に対する見方を変えてくれたと思う。