それぞれの死と詩 | 何もない明日

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朗読人の独り言










少し前にダダマがメールくれて。
止まっていた時間が、動き出したような気がした。
生きてさえいれば、「もう二度と会えない」は
覆るのだなあ。
なんて思って。



昨日は仕事上がりに高田馬場へ。
司会が晴居彗星さんに変わってからは初めてのJET POET。
オープンマイクに参加、
というよりはゲストのGOKUさんに会いに行った。
始まる前は知らない人ばっかりだなぁ、
と思っていたら久しぶり過ぎて全然気付かなかった
昔の知り合いが結構来ていた事が
それぞれの出番の時に判明したりした。



GOKUさんの声は常に私の中にあって、
だから違和感無く、すとん。と身体中に浸み込む。
聴く、というのとはまたちょっと違う。
何も考えなくても、腑に落ちるというか。
最初に聴いた時からそうだったので、
やっぱり部長(熱血部の)は違うなあと思っているし
昨日も再確認した。
泉のようだった。



オープンマイクでは知人の死を知らされたり、
著名な方の死が話題に上ったりした。
自分は父との別れの後零れてきた言葉を唱えた。
みんな素敵だった。
楽器人も言葉人も。



会えると思わなかった人にまた出会えた日。
また出会えるのだな、生きてさえいれば。
「またね」はもう無い、なんて事は無いのだ。
諦めずここで、最期まで生きよう。



みんなありがとう。
またね。