月が出てればいいんだけど | 何もない明日

何もない明日

朗読人の独り言



捨てたつもりになっているたくさんのものを、
私は未だに持っているのだ。
そこの君も然り。
どうか運命の転がる先で
素敵に笑って死ねますように。



よろしくどうぞ。



この街を一人で歩いていると、必ず一度は声を掛けられる。
と思いながらこれからインドへ向かうという女性(推定30才)
と二人新宿靖国通り沿いの歩道を歩いていると、
案の定見知らぬ男性に声を掛けられた。
「20代、30代、どっちかな?」
薄気味悪いほどハイテンションに満面の笑みで訊ねる彼に
「今急いでるんで。」
と言い放ち先を急ぐと、舌打ちする勢いで恐面に変身した彼は即、
他のターゲットに狙いを定め雑踏の中へと消えていった。
キャッチセールスにはよく声を掛けられるのだと私が言うと、
インドへ向かう女性は自分もそうなのだと何故か神妙に頷いた。
彼女は私の姉夫婦の知り合いで、
私が居候している姉夫婦の家に一晩泊まった次の日である今日、
日本を発つ前に新宿で買い物があるというので、
何故か姉の妹である私が荷物持ちを手伝っているのだ。
たまたま休みの日であったという理由で。


平日、真昼の東新宿。
東口駅前のサクラヤで買い物をした後、
伊勢丹側の無印良品店へ向かった。
ペンライトが欲しいのだと彼女は言った。
「目をあけてるんだかつぶってるんだかわからなくなるほど、
夜は本当に恐いくらいまっ黒なの。
月が出てればいいんだけど。」
私は無印良品であるところのソファに深々と腰かけて
会計を済ませる彼女を待ちながら、
月明かりを頼りにインドの夜道を散歩する自分の姿を想像してみた。


いいかもしれない。



そういえば、
いんどのやまおくでっぱのはげあたまんじゅうくいたいなすくてしんじま
えんばんそらをとぶーにゃんないているすばんつまらないんどのやまおく
という永遠に終わらない歌をその昔よく歌ったものだったが、
現代の小学生はそもそもこの歌の存在すら知らないのではないだろうか。
身近な現代っ子である私の姉の二人の子供達は、
ムーミンすら知らないくらいなのだ。
あたりまえな話ですみません。



JR新宿駅中央線快速東京行のホームでインドへ向かう女性を見送った後、
すぐそばにあった公衆電話から
今突然会いたくなった人ベストワンに電話すると
有無を言わさず留守電に繋がったので、
頭にきてそこら中の人を殴った。
もちろん心の中で。



数週間前、
6年間という何とも中途半端な結婚生活におさらばした、
つまり離婚届を中野区役所へ提出した私は他に行く宛てもなく
世田谷に住む姉夫婦のマンションに転がり込んだ。
姉、義兄、4才と5才の姪っ子達、
そして姉と義兄の昔からの友人T君が暮らす非常に賑やかな4LDKだ。
すぐそばには川が流れていて(そのせいで蚊が大量発生する)、
向こう岸には緑の多い某大学のキャンパスとその駐輪場が見渡せる。
大きな桜の木が一本、
階段を昇って三階のドアの前に立ち
晴れた日の空を見上げれば最高だ。
月が出ていれば尚のこと。



単調に繰り返される管楽器の音、発声練習の声、
夏には蝉の声、鳥の囀り、そして電車の通過音、
一定の間隔で繰り返される生活の、
日常の音達の中でおいしいごはんを食べたりしていると
何だか馬鹿らしいほど素直にこう思うのだ。
「しあわせだなあ。」


というような事を、
ある日姉に言ったら笑われた。
今自分がここに居ることで明日を呪ったり、
惨めな自分に俯いたりせず、
私が私を肯定し、
食べて眠って起きては笑う。
何の通信手段も無い四畳程の
私に与えられた空間の中から私は発信する。
生きている。
生きています。
生きてゆく。
ここにいます。
子供に戻りたいんじゃないのと姉は言った。
あるいはそうかもしれない。
地団駄を踏んで渇望するほどの執着心は、
とっくにどこかへ行ってしまったけれど。
とにかく私は旧姓に戻り、今は世田谷区民である。
生まれた時から変わらぬ名前、
それを笹田美紀(仮名)という。



特に借金も無いが貯金もゼロ、という状態からの
独身居候生活だったので、とりあえず働くか。
と思い私は家から各駅で三個目の街にある
輸入食材とコーヒー豆の計り売り店でアルバイトを始めた。
そこに行き着くまでには大なり小なり様々な出来事があったのだが、
あまり面白くないので省略する。
これだけは言いたい。
バイト探しは、フロムエー。




つづく