シナモンビスケット | 何もない明日

何もない明日

朗読人の独り言


その時


私が欲しかったのは他人の過去なんだけど、
そんなもの絶対に手に入るわけがない。
代わりに手に入れたのは一冊のノートだった。
こっそり鞄に忍ばせたビスケットと引換えに。



裏表紙には鉛筆の走り書きで
『¥50』
と書いてあった。
たった¥50で過去が買えるなら安いものだね。
しかも私のじゃない、
他人の過去だ。
けれども私は決してそれをしたくなかった。
過去を小銭で買うなんて。
何キレイ事イッテルンダ?
と言われるかもしれない。
色褪せたそれを
セピア色
と言えない事もないシナモンビスケットと交換したのは、
単なる私の感傷に過ぎない
のかもしれないし、
気まぐれかもしれない。
よく分からない。
自分でも。



私はそれを人前で朗読したりもした。
さも自分のものであるかのように。
色褪せていくさまは確認できない。
色褪せて初めて、いつの間に?と気付く。
目の前のノートはすでに他人のものではない。
これは誰のノートなの?
これは誰のノートなの?
いつの間にかそれは、私のものだった。
私のノートになっていた。



私が欲しかったのは他人の過去で、
色褪せたノートが欲しかったわけじゃない。
色褪せてゆくさまが見たかったんだ。
今ここにある、このノートじゃなくて。



これは誰のノートなの?
これは誰のノートなの?
これは私のノート。
私の過去。



色褪せた。