徳野陣屋跡(可児市) | 鬼丸のブログ

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気儘に写真を載せてます。

主に、城跡・神社かな。

訪問日 令和5年10月24日

 

今回訪問したのは、

可児市下恵土3236-1にある「徳野陣屋跡」。

某有名ギター製造所の南側に位置する。

 

跡地付近の様子。

 

解説板。

 

(解説文)

    市指定史跡 徳野陣屋跡

                    可史第二一号(昭和四七年三月二〇日指定)

 平岡石見守頼勝は、小早川秀秋の家老として関ケ原の合戦で功績をあげ、秀秋とともに

備前を治めます。秀秋の没後、慶長九年(一六〇四)可児郡一万石を与えられ、現在の下恵土

徳野地区に屋敷を構えました。その後、子の頼資が二代目を継ぎますが、三代目の後継を争

うお家騒動となったため、承応二年(一六五三)に改易となり、可児郡の所領は没収され、徳

野の屋敷は廃絶します。

 当時、姫(現在の下切)には、美濃国奉行である岡田将監善政が屋敷を構え、統治していま

した。善政は、元和五年(一六一九)当地に陣屋機能を移します。

 そして、善政の跡役となった名取半左衛門長知は、寛文二年(一六六二)徳野から笠松へ陣

屋を移します。笠松へ移転する際には、徳野陣屋の門や玄関、書院なども移築したと伝わり

ます。また、徳野には陣屋守が置かれ、徳野の屋敷は、代官らの廻村の際の宿として利用さ

れました。

 徳野陣屋は、延享三年(一七四六)の絵図に描かれています。約二五〇m四方の大規模なも

ので、周囲は大きな堀と土塁が二重に囲み、その一画に屋敷が構えられました。屋敷内に四

カ所あったと伝わる井戸跡は、今も現存しています。また、下恵土地区にある平岡山禅台寺

には、初代領主であった平岡石見守頼勝の墓所も残されています。

                           平成二六年 可児市教育委員会

 

 

跡地の様子。

某航空写真で見ると、井戸跡らしきものは、

この南側の住宅地や農地等にあるようだが、

個人宅等なので、今回は訪問せず。