訪問日 令和3年11月15日
今回参拝したのは、
本巣市下真桑字垣内561-1に鎮座する「天神神社」。
住宅地を真っ直ぐ神社へ向かう道。
元の「参道」と思われる。
神社正面付近の様子。
「鳥居」。
「参詣橋(神橋)」。
元々は、「鳥居」南に懸けてあった石橋らしい。
「鳥居」付近にある「力石」。
二拾六貫目真桑村と刻まれている。
境内の様子。
「手水舎」と「社務所」。
祭神等が刻まれた由来碑。
(石碑文)
天神神社祭神
天宇受賣命(垣内神社)
天岩屋戸の前にて舞を踊った 天ッ神のうちの女神である
古事記によると 天宇受賣命は天香具山の小竹葉を手草に結いて
天岩屋戸に汗気(空槽)を伏せて踏み登杼呂許志(轟かし)
神懸為て云々とある この所作は神楽舞の起源とされ
技芸の祖神と仰がれる
建御名方神(諏訪神社)
国譲りの神話に因れば大国主命(大黒様)の御子である
事代主神(恵比須様)の弟、建御名方神は力自慢の神で
科野国(信濃)洲羽海(諏訪湖)あたりに住まわれ
武神として仰がれる
阿遇槌神(秋葉神社)
伊邪那岐 伊邪那美の二神によって生み出された
最後の御子神で火の神として仰がれる
天 神 神 社
天ッ神(天神)を祀る神社
真正町下真桑字垣内五六一-一
勧請年月 未詳
合祀年月 明治四十三年八月
垣内神社
諏訪神社 三社を合祀
秋葉神社
例 祭 三月二十日
御 神 徳 芸能の神、心願成就の神、火防の神
として御神徳まことに広大である
ここに謹んで由来碑を建立する
平成十三年十一月
大門氏子中
石碑の裏面。
(石碑文)
参 詣 橋
永く天神神社の鳥居前にあった橋である
初詣 春祭 秋の収穫祭に奉仕し また 子どもの宮参り
若衆の相撲 神輿 長寿の祈願など氏子の心の支えに
なってきた
尚 必勝を祈願してこの橋を渡った戦士も多く昔の名残りを
とどめる橋として永く保存する
力 石
昔から下真桑村に伝わる自重二十六貫目約百キロの
力石である 若衆は夜になると神社に集まり石担ぎをして
力持ちを競うのが氏子の楽しみでもあった
石に刻まれた文字が往時を偲ばせる
「拝殿」。
「廊下」と「本殿」。
「廊下」西側にある「石灯籠」。
手前の角胴のものが文政七甲申歳のもので、
奥の丸胴のものが元禄九丙子歳のもの。
東側から見た「廊下」と「本殿」。
「廊下」東側にある「石灯籠」。
こちらは、安永二年五月のもの。
「社殿」の様子。
境内東側は、遊具の置かれた小さな公園となっている。
境内西側にあった石。
これもまさか「力石」?