津島街道埋田追分・鳥居跡(津島市) | 鬼丸のブログ

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気儘に写真を載せてます。

主に、城跡・神社かな。

訪問日 令和元年 9月30日


今回訪問したのは、

津島市埋田町1-48付近にある「津島街道埋田追分・鳥居跡」。
熱田から西に伸びる「佐屋街道」は、

ここで「津島神社」に向かう道と佐屋に向かう道に分岐していた。

その分岐点である追分は、『尾張名所図会』にも、

多くの人々が行き交う様子が描かれている。


追分跡と道標。
津島街道追分・鳥居跡6


道標。

「右つしま天王みち」「左さやみち」

「東 あつた なごや道 天和二年戌九月建立 明和二年酉再建立」

等と刻まれている。

津島街道追分・鳥居跡5 津島街道追分・鳥居跡4


「常夜燈」と解説柱「津島街道埋田追分」。
津島街道追分・鳥居跡3 津島街道追分・鳥居跡2


(解説文)

 埋田町のここには津島神社(天王様)の一の鳥居(昭和三十四年の伊勢湾台風で倒れて台石のみ)と常夜灯(夜どおしあかりをともすとうろう)一対追分(別れ道)をあらわす道標がのこっている。江戸時代ここから右は津島神社への道、左は「佐屋の渡し」への佐屋海道と分れる所で江戸時代の終わりごろには茶店などもあって通る人々でにぎわい、大正時代ごろまでは松並木が続いていた。

また熱田から津島までの道を「下街道」とよんでいたが、いまは耕地整理や新しい町づくりで道すじもかわり、ほとんどがすたれてしまっている。佐屋海道は熱田から岩塚万場(ともに名古屋市)砂子(大治町)、神守の宿(宿場)を経て津島追分から佐屋にいたり佐屋川を船で下って桑名(三重県)へと続き、東海道の脇街道として熱田から桑名までの「海上七里の渡し船」をきらった人たちに広く利用されていた徳川三代将軍家光や、明治天皇の通られた跡や記録が街道各地にのこされている。



かつて、ここに「津島神社」の「一之鳥居」が設けられていたが、

昭和34年(1959)の伊勢湾台風で倒れ、

現在は台石のみが残る。
津島街道追分・鳥居跡8 津島街道追分・鳥居跡7