訪問日 令和元年 9月 2日
今回訪問したのは、津島市南門前町1-2-1にある「堀田家住宅」。
堀田家は、「津島神社」の神官の流れを組む旧家で、
この住宅は正徳年間(1711~1716)に建築されたものと言われ、
その後修築増築が行われているが、
その変遷を古図等で知ることができる貴重なもの。
平成8年(1996)に津島市へ寄贈され、公開されるようになった。
建物の公開は、土日祝日の午前10時から午後3時までということで、
残念ながら、門が閉まっていた。
重要文化財
堀田家住宅(解説板)
堀田家住宅は、堀田理右衛門家の旧宅で、主屋、東蔵、西蔵、小蔵の4棟
からなる桁行7間半、梁間7間、切妻造重層桟瓦葺の町屋建築です。
主屋は江戸時代中期、正徳年間(一七一一~一七一六)の創建と伝えられて
いますが、数度の修築増築を重ね、現在の姿に整備されてきました。
かつては通りに面して東向きに屋敷を構えていましたが、昭和48年(一九七三)
に県道拡幅工事により約60m西に曳屋し、通りから建物を見通すことはでき
なくなりました。また、建物の方向も変わり、現在ほぼ北向きになっています。
指定年月日 昭和53年5月31日
所在場所 津島市南門前町1丁目2番地1
員 数 4棟(主屋、東蔵、西蔵、小蔵)
所 有 者 津島市
附 指 定 古図9枚
開館している日に再訪。
内部にある解説板。
重要文化財 堀田家住宅(解説板)
指定年月日 昭和五十三年五月三十一日 指定
所 有 者 津 島 市
所在場所 津島市南門前町一丁目二番地の一
指定物件 主屋、東蔵、西蔵、小蔵 四棟
附 指 定 古 図 九枚
堀田家住宅は、江戸時代中期、正徳年間(一七一一~一六)に建てられたと
言われ、その後修理や増築が重ねられており、その過程は附指定となっている
古図からも知ることができる。現在は、昭和四十八年の県道拡幅工事に伴い、
約六〇メートル西に曳屋されている。 建物は、大別すると、主屋と蔵に分か
れる。主屋は、居室部、座敷部、台所部から成り、これに茶室や湯殿、雪隠、
女中部屋等が附属する。この中では居室部が最も古く、これに加える形で増築
が行われている。蔵は、東蔵(米蔵)と西蔵(物置蔵)を小蔵でつないだ形に
なっており、西蔵が最も古く、十九世紀前半の建築と見られる。主屋の両妻に
は、うだつや忍び返しも見られ、往時の勢いを物語る。
この堀田家は、元は福島正則にも仕えた土豪であり、代々理右衛門を名乗っ
た。福島正則の安芸(広島県)転封を機に津島に戻り、祢宜町に居を構えた。
後代には酒造業や金融業、新田開発なども手掛ける富商となったが、中には和
歌や俳諧に長じた文人も輩出した。座敷部の東北隅にある茶室は、お茶所津島
の象徴であるとともに、こうした堀田家の家風をも偲ばせるものである。
この住宅は、外観平面や構造、内部の意匠に尾張の町屋建築の色を濃く残す
ものであり、貴重な遺構である。
津 島 市 教 育 委 員 会
旧町名
祢宜町(解説板)
(現町名 祢宜町)
この辺りはかつて津島天王社(現在の津島神社)の社家町で、
太夫名を有する多くの神職(社家)が屋敷を構えていたところ
でした。社家は天王社の信仰を広める津島御師を兼ねていて、
各々の担当地域にお札を配り歩いたり、地方から参詣に来る者
を自分の屋敷に泊めて神楽を行いました。
町並み。
一部古い建物も残っている。