赤染衛門歌碑公園(稲沢市) | 鬼丸のブログ

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気儘に写真を載せてます。

主に、城跡・神社かな。

訪問日 平成31年 3月11日


今回訪問したのは、

稲沢市松下1-17-27にある「赤染衛門歌碑公園」。

平安期の女流歌人「赤染衛門」とその夫「大江匤衡」を顕彰した公園。


桃色の看板が目印。

赤染衛門歌碑公園1 赤染衛門歌碑公園15


公園の様子。

公園は、南北に細長い。

赤染衛門歌碑公園2


公園西側に石碑等が並ぶ。

赤染衛門歌碑公園3


石碑「大江匤衡」。

平成元年二月に建之されたもの。
赤染衛門歌碑公園4 赤染衛門歌碑公園9


 大江匤衡 (九五二~一〇一二)(石碑文)

平安中期の貴族で、学問を得意とし、一条天皇の待読を

務めた。三度尾張国司を務め、妻の赤染衛門を伴い、

尾張の国衙があったとされる稲沢市松下の地に赴任した。

尾張學校院を再興、尾張国分尼寺などの寺院や神社を修理、

治水事業として木曽川の分流である三宅川の流れを変え、

新たに大江川を開削したと伝えられる。



解説板。
赤染衛門歌碑公園5 赤染衛門歌碑公園6


     歌碑建立のこと(解説板)

 稲沢市制三十周年を記念し、本市にゆかりの深い平安の女流歌人、

「赤染衛門」と、その夫で大江川の開削に力を注いだ「大江匤衡」の二人

を顕彰し、後世に伝承する目的でこの碑を建立したものである。

 一〇〇一年(長保三年)の七月、大江匤衡が尾張守に任命され赴任す

るのに伴って、赤染衛門も稲沢の地を訪れている。一〇〇四年まで住み、

一〇〇九年(寛弘六年)再び尾張守に任じられた夫と共に、稲沢に下向

したと伝えられる。

 ここに刻んだ二首の歌意は、大江匤衡が尾張国(稲沢)へ二度目の赴

任をした際、初雪が降り住み慣れた馴染みの土地である尾張に帰って来

たことを思い出しながら詠んだもので、その「返し」に、赤染衛門が、

今度の旅は再び見る昔馴染みの所であるが、初雪はやはり新鮮な気持

ちで観賞されると詠んだ歌である。

 ●赤染衛門

 赤染衛門の生没年は不詳であるが、九六〇~一〇四一年の説もある。赤染時用の娘で

時用が右衛門尉であったので赤染衛門と呼ばれた。母は、初め平兼盛と結婚し、離別して

赤染時用と再婚したので、実父は平兼盛という説もある。

 赤染衛門は、大江匤衡と結婚し、挙周、江侍従の二子の母となっている。藤原公任の中

納言の辞表を匤衡が作成するとき「不遇を訴える形で」と助言した話は有名で、良妻賢母

ぶりがうかがえる。

 歌人としては、和泉式部と並び称され、中古三十六歌仙の一人として有名である。歌集

に「赤染衛門集」があり、異説もあるが、「栄華物語」本編の作者として有力視されている。

     やすらはで

      寝なましものを 小夜ふけて

        かたぶくまでの 月を見しかな

                     (百人一首)

                     平成元年二月

                         稲沢市



大江匤衡と赤染衛門の歌碑。

こちらは、平成二十五年十一月に建立されたもの。

赤染衛門歌碑公園7 赤染衛門歌碑公園8


一番南にある石碑「衣かけの松跡」。

赤染衛門歌碑公園14 赤染衛門歌碑公園10 赤染衛門歌碑公園12


衣かけの松跡(石碑文)

 栄華物語の作者三十六歌仙

の一人赤染衛門は尾張守大江

匤衡の妻で 長保三年(一〇〇一)

夫と共にここに住み この松

の枝に衣をかけたと伝える

 昭和四十六年三月

    稲沢市教育委員会建之