平成30年11月 5日
今回参拝したのは、
一宮市今伊勢町馬寄石刀2に鎮座する「石刀神社」。
崇神天皇の代に、「石刀社」として創建されたという。
創建された地は、尾張国中島郡四条と伝えられ、
その地は一宮市から羽島市付近と考えられており、
羽島市桑原町の「八剣神社」が旧地と推測されている。
その後、檀林皇后(嵯峨天皇皇后)によって、
現在の地近くに遷座したといい、
現在地への遷座は、14世紀頃と言われている。
慶長5年(1600)、西へ向けて進軍中の徳川家康が参拝。
その際、境内に陣を敷いたため、「社殿」が破損し、
また建造物の一部が取り壊された。
慶長13年(1608)に再建され、
これを祝って始まったのが毎年4月に行われる「石刀祭り」とされる。
木製の「一之鳥居」。
「参道」は、ここから「二之鳥居」までだけでも、300m程ある。
境内入口付近。
神社は、西面している。
「一之鳥居」から280m程の場所で、「社号標」「石灯籠」等がある。
左右の「石灯籠」背後にある石積み。
昔は、ここに「石灯籠」があったのかもしれない。
境内の様子。
かなり広く、特に奥行がある。
「神橋」。
「神馬」。
昭和8年に建設されたが、同18年に供出。
昭和38年12月に再建されたもの。
やはり高岡市製。
「手水舎」。
「二之鳥居」と「社号標」。
因みに、この「社号標」は3つ目。
「蕃塀」。
左右に並ぶ「狛犬」群。
寄進者によって好みが違うのか、形は様々。
「狛犬」の角も、あるのは3体目だけかも。
「拝殿」。
所々に徳川の「三つ葉葵紋」がある。
「拝殿」右手前にある由緒書。
残念ながら、文字が読めない。(汗)
神社の重要施設は、「玉垣」と塀に囲まれており、見辛い。
「祭文殿」?
「本殿」。
屋根しか見えない。
千木は外削ぎ、鰹木3本。
ここにも「三つ葉葵紋」。
「社殿」の背後(東側)は、雑木林になっている。
「社務所」。
「参道」北側にある境内社。
詳細は不明。
境内は広く、施設等の見所はあると思うが、
神社独特の神秘さ等はどうでしょう?