訪問日 平成30年 8月20日
今回訪問したのは、羽島市竹鼻町上鍋209にある「大佛寺」。
そして、その本尊「佐吉大仏」。
道に面した南側にある解説板。
永田佐吉を詠んだもの。
野口雨情。
柳原白蓮。
佐吉大仏の解説板。
佐吉大仏(解説板)
佐吉大仏は、永田佐吉翁によって仏恩
報謝のため建立された青銅製の釈迦如来
坐像です。全高四・九m、江戸神田の鋳物師
西村和泉守藤原政時の作で、宝暦八年(一
七五八年)太平洋を五艘の船に分けて運び、
翌年、当地で一体に完成されました。
佐吉翁は、孝行、公益、報恩、陰徳など
数々の善行を実践され、「仏佐吉」とも「美濃
聖人」とも称えられました。戦前の修身の
教科書には「恩を忘れるな」の徳目で採用
され、全国で教えられました。
佐吉翁の墓は、羽島市竹鼻町の本覚寺に
あり、佐吉大仏と共に岐阜県及び羽島市の
史跡に指定されています。
羽島市観光協会
「佐吉大仏」は、拝観無料。
ありがたや、ありがたや。
境内に入ると左側に石製品が並ぶ。
「佛心石」。
「徳たかき翁のこころかよえりとおもえば石もみ佛にして
この石は当市狐穴区の道路に佐吉翁が
掛けられた石橋の一片で廃橋に依り当境
内に移し永くその篤行を偲ぶ資料です。」
「手水鉢」。
「道標」。
「安八町大森の渡船場近くに佐吉翁が立てられた道しるべ」
「大仏殿」入口前。
左右に「石灯籠」があり、右側に「宝篋印塔」がある。
「石灯籠」。
寛延元年戌辰霜月吉日とある。
寛延元年は1748年なので、270年前のものということになる。
佐吉大仏の解説板2。
佐 吉 大 仏(解説板)
佐吉大仏は永田佐吉翁によって、宝暦9年(1759)に完成された丈六青銅
製の釈迦如来坐像の通称です。高さは石の台座分を含めて4.9m、江戸の
鋳物師西村和泉守藤原政時によって鋳造され、5艘の船で22の部品が運
ばれ、現在の場所で一体にされました。大仏は「仏恩報謝」を目的として母の
奨めにより建立されましたが、大仏だけでなく右の図の様に釈迦堂が形成
されていました。
佐吉翁は「勤勉」「正直」「孝行」「奉仕」「慈善」「恩返し」等、様々な
徳により「美濃聖人」として称えられました。又戦前の修身の教科書にも
採り上げられ日本の徳育教育の柱として全国で学ばれました。
お堂は明治24年(1891)の濃尾震災で焼失し、長らく露座の状態でしたが、
昭和37年に再建され、その際「大佛寺」と法人化されました。
尚、昭和21年10月26日、昭和天皇陛下が全国御巡幸の折に、佐吉
大仏にお立ち寄りになられ事績をお聞きになられました。
「佐吉大仏」。
拝観無料並びに撮影可とは流石。
背面。
大仏の背中には扉があるが、
これは胎内に経典などを納めるために使われたもの。
現在、希望者は胎内に入ることが可能とか。
「永田佐吉翁像」。
「大仏殿」横にある「地蔵堂」。
延命地蔵や佐吉地蔵等が祀られている。
解説板。

「大佛寺」西側にある「大仏児童公園」。
ここに、「佐吉彰徳碑」があったらしいのだが、見落とした。(汗)

