三七松(羽島市) | 鬼丸のブログ

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気儘に写真を載せてます。

主に、城跡・神社かな。

訪問日 平成30年 7月 9日

 

今回訪問したのは、羽島市下中町石田1347にある「三七松」。
羽島市消防本部南分署の北西側、桑原川の東側にあたる。

現在は、個人所有らしい。

史跡を南側から見た様子。

田圃の中に、ポツンと小丘がある。
三七松16 三七松13

西側から見た様子。

奥に南分署が見える。
三七松11 三七松17


史跡の様子。

石碑や解説板、五輪塔等がある。

三七松14 三七松18


石碑「三七松遺跡」。

三七松3


三七松を偲ぶ石碑。
漢詩や俳句が刻まれている。

三七松4 三七松10

 

解説板1。
三七松5

 

   三 七 松(解説板)

 豊臣秀吉と徳川家康が戦った

小牧・長久手の戦い(1584)

で秀吉は不破友綱の竹鼻・加賀

の井城を攻めた。友綱は妻を離

縁し実家の八神城へ帰したが妻

は石田の地に着いて自害した。

家老の三七は墓標に稚松を植え

殉死をとげた。(他に様々な言い

伝えあり)

 松は大木に成長したが、大正

4年に枯死した。松を切ると生

血が出ると恐れられたが今は三

七を讃える漢詩が残るのみ。



解説板2。
三七松6 三七松7


 羽島市指定史跡

  三七松の遺跡(解説板)
 伝説によると、天正一二年五月竹鼻城が豊臣

秀吉に水攻めにされたとき、城主の不破源六は

妻の実父である八神城主毛利掃部介に援軍を

求めたが断られたので、武士の意地から妻を

離縁した。

 妻は家来の三七に送られ、実家に帰る途中

石田と八神の境で「他家へいったん嫁したから

には、どうして帰れよう」と自害した。三七は

遺体をその地に埋葬し、一本の松を植え墓標とした。

これが「三七松」であった。

 三七松は、大人六人が手をつないでやっと

抱えられるほどの大木にまで成長していたが、

大正八年完全に枯死した。そのあと若木が

植えられたが、近年に至ってこれも枯死して

しまった。

 伝説の地は、三アールほどの小丘で雑木の

中に石碑が二基(昭和一〇年建立)並んでいる。

これは「三七松」が歴史物語として新聞に掲載

され冊子にまとめられたことを記念したもので、

石碑には、大野即真の漢詩や高見石田の俳句が

刻まれている。

 平成一七年三月

        羽島市教育委員会


 

倒れた標柱「三七松の遺跡」。
三七松8

 

二基の「五輪塔」。
三七松9