訪問日 平成30年 3月19日
今回参拝したのは、
各務原市鵜沼山崎町1-108に鎮座する「村國真墨田神社」。
元々は、木曽川沿い(鵜沼城の外堀外部)に有ったと伝えられ、
その場所は現在は「御旅所」となっている。
国道21号線の「鵜沼東町」信号を南折し、県道27号線を南下。
JR高山線と名鉄各務原線の踏切手前を右に曲がる。
神社正面付近。
神社は、南面している。
「鳥居」。
境内の様子。
境内に入り、直ぐ右側に「神馬」がある。
「神馬」の背後、「玉垣」との間にある「石灯籠」。
そこには、「明和五戌子歳五月吉日」(1768)とある。
境内の南東にある「手水舎」。
舟底型の「手水鉢」は、文政6年(1823)に奉納されたものとのこと。
境内の中心に戻り、「参道」を進む。
神社の主要部分は、4~5m程嵩上げされた場所に鎮座する。
その手前右側には石碑「金幣社」が建つ。
一方、手前左側には、石碑「金幣村国真墨田神社の御由緒」がある。
金幣村国真墨田神社の御由緒(石碑文)
当社の祭神は天之火明命 彦火火出見命
金山彦命 岡象女命 村国雄依の五柱であ
る 社名の由来は南宮 真墨田 村国の組
合せで美濃の南宮神社の系列で尾張の真清
田神社と同系である 村国は飛鳥時代当地
方を治めた村国氏の祖を祀ることで付けら
れたものでこの地に散在する古墳が村国氏
にゆかりが深いことはよく之を物語ってい
る 醍醐天皇の御代の延喜神名帳には村国
大明神とあり天正十二年までは南町部落郷
倉にあった 戦国時代に到り鵜沼城主大沢
氏の守護神をも兼ね永正三年 時の城主大
沢和泉守吉正の弟大沢治郎左衛門正継が出
家の折奉納した愛刀村正は現在神刀として
保存されている 永禄十年鵜沼城は落城し
織田領となり天正十二年小牧長久手の戦に
船頭がしら河村惣六は豊臣軍に加勢して兵
の渡河に協力その功により馬五頭と河川の
特権を与えられ秀吉花印の書状を授かり之
を奉納し当社の宝物となっている 惣六は
喜んで村中氏子の同意を得 現在地に神殿
を造営奉遷し現在に到っている 一番古い
棟札はそのときのもので村国真墨田神社と
社名が固定したのは安政以降である
「拝殿」に思えるが、「本殿」らしい。
どちらかというと、寺院の「本堂」に見える。
又、「千鳥破風」が良い味を出している。
「本殿」前には酒樽が。
勿論、製造者は「鵜沼宿」にあるあの会社。
「本殿」左側に並ぶ末社六社。
社名は墨書してあるが、ほとんど読めない。
一応、「天満社」「秋葉社」「雨之宮社」
「山神社」「洲原社」「御鍬社」らしい。
続いて、境内を探索。
昭和10年に奉納された石碑「神馬」。
本当は、金属製の「神馬」だったのかな?
珍しい形の「狛犬」。
社。
社名の墨書はかすれているが、一番上の文字「金」が何とか読める。
「護国神社」の南側に鎮座する「恵比須大黒神社」。
「一之鳥居」。
「二之鳥居」。
社。
「護国神社」と「恵比須大黒神社」の「鳥居」の間に、
祠と石碑が隠れている。
こちらは、御馴染みの石碑「日露戦役記念碑」。
勿論、乃木希典書。
境内南西端に鎮座する「真墨田稲荷神社」。
朱色の「連鳥居」をくぐり、社と「御狐様」に参拝する。
最後に、境内東側にある「社務所」と「真墨田会館」。
おまけ。
パンフレット。