小牧宿 岸田家(小牧市) | 鬼丸のブログ

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気儘に写真を載せてます。

主に、城跡・神社かな。

訪問日 平成28年 1月 4日


今回訪問したのは、小牧市小牧にある「小牧宿 岸田家」。

「小牧四丁目南」信号付近にある。

「小牧御殿・小牧代官所跡」からは、東へ徒歩数分。

小牧宿8


先ずは、北隣にあるポケットパークへ。


元々、「小牧御殿・小牧代官所」にあったといわれる石像「福禄寿」。

小牧宿5 小牧宿1
小牧宿2 小牧宿3

「小牧御殿・小牧代官所跡」の解説板。

小牧宿4


「小牧宿」の解説板もある。
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     小牧宿(解説板)

 小牧の街は、永禄六年(一五六三)に織田信長が開いた城下町に

起源を持ち、当初は小牧山の南側にありました。元和九年(一六二三)

に尾張藩が、名古屋と中山道を結ぶ上街道(木曽街道)を新設するに

際して、宿駅として整備するため、現在地へ移転したものです。

寛文十一年(一六七一)には、家数二五五、人口一四八八であったと

「寛文村々覚書」に記録されています。宝暦年間(一七五一~六四)の

ものと推定される「小牧宿絵図」から、下町・中町・本町・横町・上之町

に区割りされていたことがわかります。また、この街道の東側には

東馬場町、西側には西馬場町も形成されていました。

 町の南端には木戸があり、木戸の南西に高札場がありました。この

地の南に接する岸田家は、御殿の入口の辻から南へ二軒目・三軒目

の敷地にあたり、この絵図が書かれた当時は、まだ、建てられていな

いことがわかります。岸田家住宅は一八〇〇年頃に建てられた町屋

で、幕末に小牧村の庄屋を務めるなどした時期に大幅に改造されて

います。平成十四年に半解体修理が完了し、幕末ごろの姿に復元

しました。内部は岸田家住宅に関する展示もあり、予約制で一般

公開されています。

 この地から西へ入ったところには尾張徳川家の別荘・小牧御殿があ

りました。天明二年(一七八二)に、この御殿の一角に小牧代官所が設

けられました。御殿・代官所については西側の説明板をご覧ください。

 小牧宿の本陣を代々勤めた江崎善左衛門の屋敷は、ここから北へ

行った下町と中町の境界付近にあり、間口六間半の大きさでした。

中町・本町は商人の家屋が多く、まっすぐ北上すると、戒蔵院に突き

当たり、戒蔵院から東が横町で、街道は横町から北へ今のラピオ

南西角交差点で鍵状に北へ曲がると、そこが上之町です。



「岸田家」住宅。
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屋根の上にあった屋根神の祠。

火伏のための「秋葉神社」かな?
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建物前には、石碑と解説板がある。
小牧宿15 小牧宿11


  小牧市指定有形民俗文化財

     岸田家 一棟(解説板)

       昭和六十三年三月二十三日指定

 岸田家は、名古屋と中山道を結ぶ木曽街

道(上街道)の旧小牧宿の下之町にあり、

江戸時代には名字帯刀を許された旧家で、

脇本陣としての役割を果たし、幕末には庄

屋を勤めた。このあたりは、文化の大火に

も焼け残っており、近世中頃の建物と推定

される。

 この家に伝わる弘化三年(一八四六)と安

政三年(一八五六)の改造時の配置図と現状

とを比較してみれば、附属舎は失われてい

るが、母屋の平面には大差のないことが知

れる。荒目の平格子や親子付の出格子、堂

堂とした屋根神の祠を残した外観も貴重な

資料である。

               小牧市教育委員会


宿場町には余り興味が無いので、ここらで退散。(笑)