訪問日 平成27年 4月12日
ここからが、この日の目的地。
「熊野神社本宮跡」から東へと尾根道を進むと、
削平地の様な場所に出る。
降りきった後、再度登ると「曲輪跡」と思われる削平地に出る。
この城跡は、発掘調査後、遺構保存のため埋め戻されたとか。
ここからは、「岐阜の山城ベスト50」に掲載されている
先ずは、「西曲輪2」と思われる削平地から。
「切岸」には、「石積」と思われる露出石が見られる。
「西曲輪3」から「西曲輪2」へと続く道を「曲輪1」から見た感じ。
普通なら、このまま「曲輪1」へと行くところだが、
今回は「南曲輪2」の削平地を先に見る。
ここは、「曲輪1」の南側に広がる直角三角形状の曲輪で、
なかなかの広さとなっている。
「南曲輪2」の「西側石積」と思われる露出石。
「南曲輪2」から見た「曲輪1」付近。
東側に、「南曲輪2」から降っていく階段がある。
その近くに石が埋まっていたが、これが「東側石積」かな?
続いて、「曲輪1」へ。
西側から見た様子。
「櫓台状遺構」を東から見た様子。
右端の構造物は、テレビ中継施設。
「櫓台状遺構」が壊されなくて良かった。
「櫓台状遺構」の上には、伊木山山頂を示す標識と三角点がある。
「曲輪1」の北側には、下への急な降り坂(階段)がある。
こちら側も、木々に阻まれ、眺望は悪い。
恐らく、もう少し西側に「曲輪1」北側石積があったのだろうが、
残念ながら見忘れた。(汗)
「曲輪1」を堪能した後、東側の遺構を見る。
先ずは、「曲輪1」のすぐ東隣にある「東曲輪2」。
ここは、戦時中に航空機監視哨が設置された場所と言われており、
周囲を「土塁」状の土盛が囲んでいるが、
恐らくはその際に造られたものと考えられる。
最後に「東曲輪3」へ。
「東曲輪3」は、結構広い。
「東曲輪2」から階段を降りる際、
「東曲輪3」の「石積」を見ることができる。
ということは、この階段は後世に造られた可能性が高いということか。
「東曲輪2」と「東曲輪3」の間には、結構な高低差がある。
こちらは、「東曲輪3」の「北側石積」。
北側は、どこも急坂かつ腐葉土に足を取られやすいので、
「東曲輪2」から「東曲輪3」へ降りる階段の南側に、
「東曲輪2」へと登っていく坂道があった。
ここが、本来の出入口だったのかな?
道は、更に東へと続いている。
「曲輪跡」に「石積」「櫓台状遺構」と実に解り易い。
ただ、自然地形の登り降りはあっても、
「堀切」や「竪堀」は見当たらない。
恐らく、地盤が固いためだろう。
「堀切」好きとしては、少し残念だったが、
手軽に楽しめる城跡だった。
できれば、「縄張図」なんかあると親切かな。(笑)
続く。