伊木山(各務原市) 参 「城跡」 | 鬼丸のブログ

鬼丸のブログ

気儘に写真を載せてます。

主に、城跡・神社かな。

訪問日 平成27年 4月12日


ここからが、この日の目的地。


「熊野神社本宮跡」から東へと尾根道を進むと、

削平地の様な場所に出る。

伊木山城跡6 伊木山城跡7


そのまま進むと、尾根道は一旦下りとなる。
伊木山城跡9


降りきった後、再度登ると「曲輪跡」と思われる削平地に出る。

この城跡は、発掘調査後、遺構保存のため埋め戻されたとか。

ここからは、「岐阜の山城ベスト50」に掲載されている

「伊木山城跡概要図」を見ながら場所を確認する。
伊木山城跡10


先ずは、「西曲輪2」と思われる削平地から。

※「西曲輪3」とその「北側石積」は見忘れた。(汗)
伊木山城跡15 伊木山城跡24


「切岸」には、「石積」と思われる露出石が見られる。
伊木山城跡11 伊木山城跡12

「西曲輪3」から「西曲輪2」へと続く道を「曲輪1」から見た感じ。

「虎口」といった感じに曲がっている。
伊木山城跡17


普通なら、このまま「曲輪1」へと行くところだが、

今回は「南曲輪2」の削平地を先に見る。
ここは、「曲輪1」の南側に広がる直角三角形状の曲輪で、

なかなかの広さとなっている。

伊木山城跡18 伊木山城跡19

伊木山城跡25


「南曲輪2」の「西側石積」と思われる露出石。
伊木山城跡20 伊木山城跡21

「南曲輪2」から見た「曲輪1」付近。

段差が明瞭に残っている。
伊木山城跡22 伊木山城跡23


東側に、「南曲輪2」から降っていく階段がある。
その近くに石が埋まっていたが、これが「東側石積」かな?
伊木山城跡33 伊木山城跡34

続いて、「曲輪1」へ。

西側から見た様子。

中央付近の盛り上がりが、「櫓台状遺構」。
伊木山城跡26


「櫓台状遺構」を東から見た様子。

右端の構造物は、テレビ中継施設。

「櫓台状遺構」が壊されなくて良かった。

伊木山城跡28


「櫓台状遺構」の上には、伊木山山頂を示す標識と三角点がある。

尚、木々に阻まれ、360°眺望は悪い。
伊木山城跡27 伊木山城跡36


「曲輪1」の北側には、下への急な降り坂(階段)がある。

こちら側も、木々に阻まれ、眺望は悪い。

恐らく、もう少し西側に「曲輪1」北側石積があったのだろうが、

残念ながら見忘れた。(汗)

伊木山城跡29 伊木山城跡30

「曲輪1」を堪能した後、東側の遺構を見る。

先ずは、「曲輪1」のすぐ東隣にある「東曲輪2」。
ここは、戦時中に航空機監視哨が設置された場所と言われており、
周囲を「土塁」状の土盛が囲んでいるが、

恐らくはその際に造られたものと考えられる。
伊木山城跡38
伊木山城跡39 伊木山城跡40

最後に「東曲輪3」へ。

「東曲輪3」は、結構広い。

「東曲輪2」から階段を降りる際、

「東曲輪3」の「石積」を見ることができる。

ということは、この階段は後世に造られた可能性が高いということか。
伊木山城跡55


「東曲輪2」と「東曲輪3」の間には、結構な高低差がある。
伊木山城跡42

こちらは、「東曲輪3」の「北側石積」。

北側は、どこも急坂かつ腐葉土に足を取られやすいので、

「石積」を確認する際は、注意が必要だ。
伊木山城跡47 伊木山城跡49


「東曲輪2」から「東曲輪3」へ降りる階段の南側に、
「東曲輪2」へと登っていく坂道があった。

ここが、本来の出入口だったのかな?
伊木山城跡44 伊木山城跡52

道は、更に東へと続いている。
伊木山城跡45


「曲輪跡」に「石積」「櫓台状遺構」と実に解り易い。
ただ、自然地形の登り降りはあっても、

「堀切」や「竪堀」は見当たらない。

恐らく、地盤が固いためだろう。
「堀切」好きとしては、少し残念だったが、
手軽に楽しめる城跡だった。
できれば、「縄張図」なんかあると親切かな。(笑)


続く。