訪問日 平成26年 4月19日
今回訪れたのは、関市板取にある「田口城跡」。
今回も人生初の板取訪問。
イメージどおり、遠かった。(汗)
先ずは、板取温泉を目指す。
今回は、山県市経由で向かう。
国道256号線を進み、途中から県道52号線へ。
板取温泉の駐車場を通り過ぎ、左折して橋を渡る。
渡りきったら、直ぐに左折。
下流方向へ300m位進むと、山側に長屋神社が見えてくる。
この神社と畑の間の敷地周辺が城跡。
敷地の石垣は、後世のものだろう。
田口城(解説)
美濃の守護土岐氏に属して、越前との国境警護に当たっていた長屋氏は、ここに館を構えた。
時は、戦国の世、所領を巡って争いのあった現美濃市の鉈尾山城主佐藤才次郎方政の急襲に遭い滅びた。(文禄三年 一五九四)
この頃、長屋氏は、越前大野にあった金森長近と親交があり、子の喜蔵は長近に養育された。この喜蔵が第二代金森出雲守可重である。飛騨古川に増島城を築き、父長近と共に織田・豊臣・徳川三代に渡り戦いに明け暮れ生き抜いた武人であり、民政に意を用い茶道を嗜んだ名君という。茶道宗和流の祖、金森宗和は可重の長男飛騨守重近である。信濃守には他に二女子あり、共にこの地に嫁したので、裔孫は永く今日に及んでいる。
城址の近辺には、南方の山腹に物見の「鐘撞堂」跡や楢の瀬の尾根に「待ち濠」、領地を守るため戦った多くの戦士を葬った「千人塚」、当主をお祀りする門原墓碑、当主が自刃し墓標とした杉が成長したと伝えられる「月窓杉」などの史跡が点在する。
平成十六年十二月
板取村
敷地の中央にあった石碑。
おまけ。
城跡近くで、久しぶりに、野生の雉を見た。
「雉も鳴かねば、撃たれまい。」が頭を過ぎる。(笑)
続く。