ももの妊娠・出産
で書かせてもらいましが愛猫のももが出産をしました。
6匹のかわいい子たち
女の子
男の子
早朝の出産でした。
一通り、赤ちゃんのお世話が終わり、元々の猫の寝床のそばに、母子の入った箱を移動して、一息。
寝ていなかったので、さすがに眠くなって横になりました。
幸せな気持ちですぐにスッと…
少しの間、寝たんだと思います。
ももが大きな声で私を呼びました。
「えっ、どした?」
と起き上がると、ももがそばで何かを訴えてます。
焦って赤ちゃんを見ると 「いない!!!」
ももが歩いて行った部屋の反対側を見ると、いました!
猫たちがたまに入っていたカラーボックスに、全員が引っ越しをしてました
「そっか、越したんだね!そっかそっか」と納得して、また寝ました
するとすぐにまた、そばで呼び起こされました。
「どした?」と聞くとがやはり部屋の反対側に案内をします。
ももは初産、やっぱり本能があっても初めての育児には不安があるのかな…
赤ちゃんたちのそばに行って座ると、ももは座って落ち着きました。
そうか…
ならば、ということで2~3センチ程度のクッションのついたゴザがあったので、ひとまず赤ちゃんを潰さない程度の距離をあけ、ゴザをピラッと敷いてそこに寝ました。
そのあと、ももは起こしませんでした。
※乳母のはなが中を陣取って爆睡です
真夏だったので良かった。
一カ月くらいはそのゴザに寝てたと思います。
体は痛かったですが
とにかく赤ちゃんたちはスクスクと成長しました。
目が開いた
でもまだ何も見えてない
当初、里親さんを探そうと思ってました。
全員は無理でもひとまず探してみよう、と。
この頃はまだ完全にパソコンが普及しきってない頃。
里親募集といっても、「新聞」や地方の情報紙みたいなもの。
あとはペットショップに張り紙
写真を撮ろう!
と「写ルンです」を買い、撮影。
しかし
当時私はものすごく忙しかった。
生活は楽ではなかったので、夜もバイト、バイトのない日はバンドの練習。
猫たちのお世話はするけれど、家にいるのは土日くらい。
写真を現像して張り紙を作る。
新聞掲載の申し込みをする。
どれも全くできなかったのです
みるみるうちに情が出てしまい…
もういいや、全部うちの子だ
となりました。
写真が全部ボヤけているのは撮影してすぐに現像したわけじゃなく、何年かたってから、現像したからだと思います
※上から、ふくちゃん、パンちゃん、のりちゃんデス
トイレもすぐに覚えて大盛況
それから子供たちは10歳~20歳の間に少しづつ旅立っていきました
最後の子は20歳と半年。
ちなみにお父さんは外で暮らしている黒白の子でした。
外の世界は厳しい、というのが見てわかるような表情をした子。
以前家にいた「シャチ」に似ていたので「おにいちゃん」と呼んでました。
おにいちゃんにとってたぶん晩年のこと。
部屋のベランダにやってくるようになりました。
疥癬だったとも思います。
弱ってきている感じがしたのでご飯をあげ、治療まで何とか、と思ったけれど遅かった
ベランダにくるようになり、触れないけれど甘えた声を出すようになってすぐ。
おにいちゃんは来なくなってしまいました
猫たちが成猫になったころ、フと気づいたことがあります。
私は親戚中で一番年下。
近所でもそうでした。
赤ちゃん・子供というのが頭でわかっていても実際に接することがほとんどなく育ってきたのです。
赤ちゃんをあやしたり、抱っこしたり、子供と遊んだり…
全部、猫に教えてもらったんだなぁと
おにいちゃんも含め、猫たちはみんな生き切って、その姿をしっかり見せてくれました。
だからかわいいという言葉では表現し切れない。
そんな風に思うのです