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2014年5月24日の『やさしい夜遊び』(http://ameblo.jp/sas9791/entry-11861098254.html
)で、
桑田佳祐さんの親友の宮治淳一さんが、
「サザンオールスターズってつけたのは、当時メンバーの入れ替えが頻繁だったから」ということを話していたのですが、
まさにその通りだったそうですね。
原由子さんの『娘心にブルースを』と、関口和之さん・ムクちゃんの『突然ですがキリギリス』から参照してみましょう。
サザン以前は、「脳卒中」だの「桑田佳祐とヒッチコック劇場」だの、
ベターデイズのメンバーと、湘南ロックンロールセンターで演奏する度に、バンド名を変えていたらしい桑田さん。
その頃には、「茅ヶ崎に背を向けて」「娘心にブルースを」などの曲はあったらしい(ムクちゃん談)
原坊曰く、
「1976年の夏から冬にかけて、初期型サザンはめまぐるしくメンバーチェンジを繰り返した。まさにオールスターズと言う感じであった」そうです。
この頃は「ピストン桑田とサザンオールスターズ」と名乗っていたらしく、
メンバーは桑田さんと原坊、
ドラムに「池田はヤクザ」という内輪向けの曲を作られた池田さん、
縁側で日向ぼっこをするのが趣味だという「爺さん」というあだ名の橋本さんというギターの方、
ベースは自転車屋の吉田さんという方がいたらしい。
ちなみに、「ピストン桑田とサザン」の演奏を聴いて感銘を受けたのが萩原健太さんで、
実際にサザンでギターを弾いたこともあるという(ムクちゃん談)。
そして77年の春、ター坊とヒロシさんが加入。
この時のベースは、桑田さんとムクちゃんが組んでいた「ピストン桑田とシリンダーズ」と、パシフィックホテルで演奏のバイトをしていた
天野和平さん(ヘイちゃん)という方
(原坊のいう「先輩のAさん」、ムクちゃんに安価でベースを譲ってくれた人)でした。
そして就職活動でサザンを抜ける、ということで、ムクちゃんがその後に入ります。
その年の7月、イーストウエストブロック大会本戦。
シャネルズとぶつかり、
鈴木さんらに「汚ねぇオッサンだな」「歳ごまかしてるぜ、あいつら」と言われる(笑)
8月27日、決勝(この時はヒロシさん不在、小野さんと言う人が代打)
77年秋、ライブハウス廻りで修行しているところに、
「僕はバンド3つかけもちしてるからさぁ、忙しいから準メンバーでいいよ」ともちかけ、
毛ガニさん加入。この時の発言が仇となり、36年目の準メンバー(笑)
そして……伝説が始まったのだった。