昨日、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の最終回が放映されました。
今回の大河は、とても良かったです。



謀反人や反逆者というイメージが強い明智光秀でしたが、それが払拭されました。
加えて、長谷川博己さんが演じることで清涼感さえ醸し出すことができました。

一言…カッコよかったぁ。



最終回前あたりから、光秀は「裏切り者」ではなく、「あそこまで信長にひどい目にあわされたら、そして傍若無人ならば本能寺の変もしゃぁない」的な持って行き方だったように思います。
また、信長を討つまでの光秀の苦悩もうまく表現されていました。




本能寺の変で、光秀は信長を討つことには成功しました。

ですけど、信長の首を取れなかったことが光秀の最大の誤算でした。
首を取れていれば、盟友たちが光秀の味方について、光秀が天下を取り歴史が変わっていたかもしれません。
首を取らせなかったことは、信長の最後の意地ですかね。



明智光秀の本を数冊読みました。
私が読んだ本では、光秀は部下思いの人であったそうです。
ケガを負った部下や、戦で命を失った部下に対して、最大の思いやりをもって接したとのこと。
戦国時代に、そんな武将は他にはいなかったそうです。
そんな慈悲深いところが、西郷隆盛と重なります。
加えて、トップに立てなかったところも似ています。



日本の歴史史上最大のミステリーである「本能寺の変」は、そこに至った動機が解明されていません。
また、最近になって、光秀は本能寺付近にはいなかったという説が出てきました。
これらは、何十年、何百年経っても、しかもIT技術がどんなに進んでも、絶対に解明されないことだと思います。
だからこそ、私たちは歴史に魅了されるのでしょう。



光秀は三日天下で麒麟を連れてくることはできませんでした。

ですけど、平和な江戸時代への入り口に導いたことが最大の功績だったと評価して良いのだと思います。