一昨日、イチロー選手が引退を発表しました。

 

まずは、「お疲れ様でした」と申し上げます。

 

 

 

イチロー選手がオリックス時代に頭角を現してきたころ、よくグリーンスタジアム神戸へ行っていたんですよ。
当時は、大阪の豊中というところに住んでおりまして、ドライブを兼ねて車で行くのにちょうど良い距離でした。
広大な駐車場があり、緑豊かな最高のスタジアムです。
特に、デイゲームが最高でした。

 

 

 

イチロー選手が活躍し始めたのは1994年から。
この年から監督は仰木監督になりました。
その前年までの土井監督のままだったら、ここまでの成績は残せていなかったかもしれません。

 

最初、「イチロー」という名前で選手登録した時は驚きました。

漢字の苗字以外での選手登録の先駆けではないでしょうか?
そんな注目が高まる中でいきなり210本の年間安打数でしたから、世間は度肝を抜かれました。

 

そして、翌年は阪神大震災直後のシーズンで「がんばろうKOBE」のもとに、リーグ制覇しました。

 

 

 

イチロー選手のおかげで、「51」という数字がメジャーになりましたね。
それと、「ライト」という守備位置が脚光を浴びたと思います。
私は、子供時代は野球少年だったのですが、野球があまりうまくない子がライトの守備位置につくことが多かったです。
実際、読売新聞の日曜版か何かに「ライパチ君」という連載漫画がありました。
野球が下手な子は、ライトを守って、8番バッター…。
守備位置に関して言えば、イチロー選手はこの常識を大きく覆したと思います。

 

 

 

一番心に残ったプレーは、2009年のWBC決勝の勝ち越し打です。
あれまで調子が悪かったのに、ファウルで粘りに粘って、最後の最後に仕留める…。
日本中が歓喜に沸いた瞬間でした。

 

 

 

「平成の大スター」に、「平成最後の国民栄誉賞」をと思いますが、さすがに準備期間がないですね…。
「平成最後」ではなくてもいいので、そろそろ受けてもらっても良いのではないかと思います。

 

 

 

これからは指導者になるのでしょうか?
今後、どのような人生を歩んでいかれるのか、楽しみです。