Feecleで、
「タバコを吸う人には気の利く人が多い気がする。」
という書き込みをしたら、面白い反応が返ってきた。
喫煙行為と気が利くという因果関係の話から、
喫煙者のマナーと言った話題に話がシフトしていった感じだった。
これは実は、この書き込みをするときに、多少予想していた。
この書き込みをする前、
「タバコを吸う人には気が利く人が多い」
と言い切る形にしようかと思ったけど、
絶対に批判的な意見が続出するだろうと思い、
少し、反応の予想を立ててこういう書き方にしてみたのだ。
この場合、議論の争点が、
「喫煙者と気が利くことの因果関係」
「喫煙者のマナー」
の二つになるのではないかと予想をしていた。
そしてその論争から、
この因果関係には統計的な公平さに欠ける。
と言う結論が出るか、
また、そこから、
喫煙者のマナーは個々人の差が大きく一概に言えない。
と言う話になるか、ちょっと気にしていた。
まず、この命題には、喫煙者に良いイメージを与えると言う、
①喫煙者依りの考え方をしている事。
次に、「~と思う。」と言った、個人的な意見、
つまり、全体的な統計というより、
②閉鎖的な小規模の統計に依っている事。
この二つの偏見を、ある意味で挑発的に仕掛けていた。
②に対して、上がっていた意見に、
「自分の周りでは、そうでもない」
と言う意見が出てきた。
考え方としては、その通りで、
そこから更に思考を進めれば、
「あなたの周りではそうかもしれないけど、
一般的にそうとは言えない。」
と至る。
この②に対する、正確な答えとしては、
タバコを吸う人が、そうでない人と比べて、気が利く人が多い。
と言う相関関係が確かにSARUの周りであった。
しかし、それを直接、因果関係と繋げて考えてはいけないと言うことだ。
よく考えれば、「タバコを吸う人」の定義が、一般的な喫煙者ではなく、
「SARUの周りにいる喫煙者」という括りにするのが正しいのであって、
因果関係は、
「SARUの周りにいる喫煙者には、気の聞く人が多い」
であれば、問題ない。
因果関係を考えるときに大事なことは、
他にも要因は沢山あるかもしれないと考え、
その相関関係が因果関係と直接結び付けられるものかどうか考える事だ。
長くなったが、次に①についてだが、
これは喫煙者依りの挑発的な書き方になったため、多数の反論的意見がきた。
この批判的な意見は、非喫煙者の率直な意見と取れるだろう。
喫煙者はこういう意見は参考にしておくほうがいい。
で、上がった意見を見てて思ったのが、
非喫煙者から見ると、喫煙者はみんな一括りに悪、と思われている、と受け取られても仕方がない内容もあった。
本当にそういうつもりで言った可能性もあるが、
実際に、そこまで辛辣な考え方をしている訳ではないと思う。
本当にそう考えているなら、その人はタバコを吸う友達なんて作らないだろう。
だが、実際にはそんなことはないだろう。
人間関係なんて、自分と仲の良い人は喫煙者でも悪いと思わない、
そうでない人は、なぜか悪く見える。そんなものだと思う。
一緒にいる友達がやっていても、別に気にならないが、
一人でいるときに、他人にされると気になる事ってあるでしょう?
非喫煙者にとって、喫煙ってそう感じる部分があるのではないだろうか?
だが、それは錯覚じゃないかと思う。
他人なら悪くて、友達なら良い、なんて考えは矛盾している。
そんなの小学校の常識だ。
ではどうしてそう考えてしまうのか。
それは、社会的な風潮とも言えると思うのだが、
日本が悪いことを悪いと言いにくい社会だから、
と言うところに落ち着いてしまうと思う。
要するに嫌われるのは嫌だから言えない。
波風を立てたくないと思っているのだ。
だが、それは逆に考えれば、
その相手を波風を立てるほどの相手だと思っていない、と言うことにもなる。
現代のそう言った浅く薄っぺらな人付き合いになった原因はわからないが、
とすると、その浅い人付き合いと言うものが、
さまざまな風潮の根底にあって、
その事が思考を偏らせる原因のひとつに繋がっているように思えてならない。
タバコのマナーの話に戻すが、
こういった思考の偏りがなければ、
「喫煙者がみんな悪い」、と受け取れるような意見なんて出ず、
「マナーは個々人の問題で、良い人もいれば悪い人もいる。一概には言えない」
と言う意見に収まるはずだ。
まぁ、それはそれで議論が停止してしまうが、
そうなったら、また新たな命題を出せばいい。
例えば、「個々人の喫煙マナーの水準を上げるにはどうしたらいいか」とか。
「タバコを吸う人には気の利く人が多い気がする。」
という書き込みをしたら、面白い反応が返ってきた。
喫煙行為と気が利くという因果関係の話から、
喫煙者のマナーと言った話題に話がシフトしていった感じだった。
これは実は、この書き込みをするときに、多少予想していた。
この書き込みをする前、
「タバコを吸う人には気が利く人が多い」
と言い切る形にしようかと思ったけど、
絶対に批判的な意見が続出するだろうと思い、
少し、反応の予想を立ててこういう書き方にしてみたのだ。
この場合、議論の争点が、
「喫煙者と気が利くことの因果関係」
「喫煙者のマナー」
の二つになるのではないかと予想をしていた。
そしてその論争から、
この因果関係には統計的な公平さに欠ける。
と言う結論が出るか、
また、そこから、
喫煙者のマナーは個々人の差が大きく一概に言えない。
と言う話になるか、ちょっと気にしていた。
まず、この命題には、喫煙者に良いイメージを与えると言う、
①喫煙者依りの考え方をしている事。
次に、「~と思う。」と言った、個人的な意見、
つまり、全体的な統計というより、
②閉鎖的な小規模の統計に依っている事。
この二つの偏見を、ある意味で挑発的に仕掛けていた。
②に対して、上がっていた意見に、
「自分の周りでは、そうでもない」
と言う意見が出てきた。
考え方としては、その通りで、
そこから更に思考を進めれば、
「あなたの周りではそうかもしれないけど、
一般的にそうとは言えない。」
と至る。
この②に対する、正確な答えとしては、
タバコを吸う人が、そうでない人と比べて、気が利く人が多い。
と言う相関関係が確かにSARUの周りであった。
しかし、それを直接、因果関係と繋げて考えてはいけないと言うことだ。
よく考えれば、「タバコを吸う人」の定義が、一般的な喫煙者ではなく、
「SARUの周りにいる喫煙者」という括りにするのが正しいのであって、
因果関係は、
「SARUの周りにいる喫煙者には、気の聞く人が多い」
であれば、問題ない。
因果関係を考えるときに大事なことは、
他にも要因は沢山あるかもしれないと考え、
その相関関係が因果関係と直接結び付けられるものかどうか考える事だ。
長くなったが、次に①についてだが、
これは喫煙者依りの挑発的な書き方になったため、多数の反論的意見がきた。
この批判的な意見は、非喫煙者の率直な意見と取れるだろう。
喫煙者はこういう意見は参考にしておくほうがいい。
で、上がった意見を見てて思ったのが、
非喫煙者から見ると、喫煙者はみんな一括りに悪、と思われている、と受け取られても仕方がない内容もあった。
本当にそういうつもりで言った可能性もあるが、
実際に、そこまで辛辣な考え方をしている訳ではないと思う。
本当にそう考えているなら、その人はタバコを吸う友達なんて作らないだろう。
だが、実際にはそんなことはないだろう。
人間関係なんて、自分と仲の良い人は喫煙者でも悪いと思わない、
そうでない人は、なぜか悪く見える。そんなものだと思う。
一緒にいる友達がやっていても、別に気にならないが、
一人でいるときに、他人にされると気になる事ってあるでしょう?
非喫煙者にとって、喫煙ってそう感じる部分があるのではないだろうか?
だが、それは錯覚じゃないかと思う。
他人なら悪くて、友達なら良い、なんて考えは矛盾している。
そんなの小学校の常識だ。
ではどうしてそう考えてしまうのか。
それは、社会的な風潮とも言えると思うのだが、
日本が悪いことを悪いと言いにくい社会だから、
と言うところに落ち着いてしまうと思う。
要するに嫌われるのは嫌だから言えない。
波風を立てたくないと思っているのだ。
だが、それは逆に考えれば、
その相手を波風を立てるほどの相手だと思っていない、と言うことにもなる。
現代のそう言った浅く薄っぺらな人付き合いになった原因はわからないが、
とすると、その浅い人付き合いと言うものが、
さまざまな風潮の根底にあって、
その事が思考を偏らせる原因のひとつに繋がっているように思えてならない。
タバコのマナーの話に戻すが、
こういった思考の偏りがなければ、
「喫煙者がみんな悪い」、と受け取れるような意見なんて出ず、
「マナーは個々人の問題で、良い人もいれば悪い人もいる。一概には言えない」
と言う意見に収まるはずだ。
まぁ、それはそれで議論が停止してしまうが、
そうなったら、また新たな命題を出せばいい。
例えば、「個々人の喫煙マナーの水準を上げるにはどうしたらいいか」とか。