このタイトルに書いた事を、

あなたはどこまで言い切れますか。


もし、報われなければ、それは努力が足りなかったから?

しかし、だとしたら、それまでの努力自体は報われなかったことになり、

「必ず」報われるではなくなる。


努力が足りなかった、と言う言い訳を通すためには、

「一貫した努力は、いつか必ず報われる」

と言う言い方に変えるべきだ。


一貫したと言う言い方にしておけば、

努力が足りなかった、まだ努力の余地がある、

と言うときに、今までの努力とこれからの努力と言う言い逃れは無くせる。


しかし、いつか必ず報われる努力を、途中で止めてしまったらどうなるか。

それまで一貫してきた努力はそこで報われなくてはならない。

が、必ずしもそうではないだろう。


つまり、努力は必ず報われる。の類の議論は真ではない。

こういう言い方をすると、

「「努力は必ず報われる」ではない」

イコール

「努力は報われることもあるが、報われないこともある」

と素直に考えやすいが、

以前にちょっと触れたクレタ人の話、


「「全てのクレタ人は嘘しか言わない」とクレタ人が言った。」

と言うパラドックスとされる問題。

これを考えるとき、人はどうしても、

「「クレタ人は嘘しか言わない」が嘘だから、「クレタ人は本当のことしか言わない」

あれ?でも、この言葉は嘘のはずだから・・・」

もしくは、

「「クレタ人は嘘しか言わない」が本当なら、これを言ったのもクレタ人だから・・・」

と陥ってしまう。


なんてことは無い。

「全てのクレタ人は嘘しか言わない」は嘘で、

本当は

「全てのクレタ人は嘘も言うし、本当のことも言う」でもいいし、

「本当のことを言うクレタ人もいる」でもいい。

要するに、

「「全てのクレタ人は嘘しか言わない」ではない

であればなんでもいいのだ。


こういう人間の直感と、本来の意味(効果)とが違ってくるようなことが結構ある。

調べると面白いかもね。