癌と診断され、治療の過程で苦痛経験も、臨床とした実験台

 だったのか?そこを克服する確率とか自然とはかけ離れた科学や薬の効能とか立証する場面にはなりたくないな~という位、

 科学が進歩したのはわかるけれど、その先の目的としての視点は

 利権なのか貢献なのか。の、画像診断に関しては私自身を差し出し、 若いDrは、「あ~、これって私が診断したのですか?」という

 初見メモ書きを私が持っていたからこその、半年検査に疑問を

 訂した。他の方からはセカンドオピニオンを勧められたが、

 今のところ、この場でのDr診断は人が代われば見解が違う

 ところまできた時間がある。その引き換えに時限爆弾を抱え、

 どこか違う診断を望むところだが、事情も変化するところで

 これはもはや縁との立証は時と運しだい。だな~と思いつつ、

 最終手段のバックボーンも、先祖のおかげか実は強いからこそ、

 忍びない交流は、普段のお付き合いのさじ加減も貝輪みるところも

 私の名を言えば・・・。という甘えだと感じるところも、

 改めて、医療界隈は経験を通じて思う節は、どっちもどっちだろう

 事もわかるほど、年を重ねた・・・・。うっひょう~だよな。