最近、不可解な出来事に遭遇し、これは意図的なのか?

意地悪なのかの判断は、ある程度知識を身につけ、実践したからであろう、自分なりの答えを見つけ、相手を責めるのではなく、いかに自分に落とし込めて対処法を探るのが、一歩上に行った方の課題であろうことも、どこか専門家とかレベチな人にとっての整合性を唱えた時、自分軸はないのか!とか、「差」をつけさせたのは所詮、自己防衛のためだとどこか思っている中、同期は確かに多かった。あれから10年、レベル上げた方は1人。は、今は会長の座を得ているが、

その上の世代からの非難を受けたのであろう、今更ながら「組織」を

訴える事に関して今の時代、別の角度から見た人からは去る選択を得るのもわかるところは、私自身もそういう節があるところ。歴史と言う名の私の代では終わらせたくない執着心は長ければ長いほど、そこの切る勇気は、あ~~どこでもあるところを認識しつつ、市民団体の強さと弱さを知ったところ、じゃこれからどうします?!といった

丸投げ事象が多発中で、それぞれ抱えている事情も踏まえての活動の在り方が問われているところ、私の事案でブロックされるという打破改作を思案中。弱点として味方がいない事、一緒にできる方の賛同が得られないところ。引いてみれば、協力者がいる先行協力がいることを踏まえての次回の会議で・・といったところ、会議そもそもが出席できません。のメンバーが、あ~~~この組織の仕組みに気づいた!?というくらい離れるのは、私もそう思ってるところ。歴史を刻んだ時間の長さと比較する事を誇れると思うとのか、古い価値観だと思うのか。そこのせめぎ合いが現実としておこなわれている。

 ありえない価値観は、いまじゃ起こりえる事実と症例。

どうりでヒグマが現れるわけだw。