小さなイラっと来る事も増え、一番厄介なのは相方の言動に
対してであり、一緒にいるからこその問題なのでいっそお互い
1人身になった方がいいんじゃないかと思うのは私だけじゃない。
どっちが先に言うかというところまでいっている。
いかに相手に言わそうかと願う訳は
「あなたがそう言ったのならそうする」という、相手のせいにして
自分が救われるに期待しているところなのであろう。
テレビの不調で、誰が直すんだ?というところで、業者呼ぶという
すぐに依頼する派と、そのうち直るんじゃないか様子見派は私。
「時間があるだろう!俺は忙しいんだ」という今もなお、
昭和の価値観対応でくるところは、
変わらないを誇示しているようにも見え、察して動いていた私も
服従していたんだなと思う事と愛とはちがうよなと気づき始め、
この言葉にもイラっと来た。
そして、一旦コンセントや配線を抜いてしばし置いて、再度
つけ直しし電源を入れると不調が消えた。そんなもんだ。
きっと、ほこりでも詰まっていたのであろう感覚。業者を呼んだら
えらいお手数かけました。ご足労掛けましたと、
負担が増え不快が残る。
自分たちで解決できることでも、他者に任せるスタンスが最近
目に付くようになり、ちょっとやればできるのに誰がやるのかと
言ったところで俺がやるのか?というめんどくささ優先で、
相手がいればそいつにやらせる。こうして書いて分析して
腑に陥る作業して消化(昇華)しているところ。
