調査員のジョン・シグルが発した一言で、皆は凍り付いた。
皆、ジョンが左手で持つビニール袋に目がいった。
その袋の中には、1本の赤毛が納められていた。
短く、太めな毛質から、男性の可能性が高いことを表していた。
「いや、前の住民の可能性があるぞ。」
ブライアンが口を開いた。
コリンは目を見開いたまま、答えた。
「大家さんによると、前住んでいた人は台湾からの留学生と言っていた・・・。」
声はかすかに震えていた。
「この髪の色は地毛だ。質感から、欧米系のものだ。侵入者のものだね。これは、私達の警備会社で分析しようか。」
ジョンの提案に、ブライアンは首を振った。
「いや、これは、FBIに頼む。大いに助かった。礼を言う。」
ブライアンは、ジョンからビニール袋を受け取ると、急いで部屋を出ようとした。
「ちょっと、待ってくれ。」
ジョンはブライアンを止めた。
「どうした。まだ他にあるのか。」
「大いにある。気配を感じるんだよ。見張られているという気配をね。」
ジョンは、への字の眉毛をぴくっとさせた。
床に置いてあった革製の鞄を開いた。
鑑識の道具や見慣れない器械が、整然と納められていた。
ジョンは、鞄から目盛りが付いた器械を取り出した。
盗聴器発見器であった。
ジョンは盗聴器発見器を壁にかざし始めた。
「彼は、隠しカメラや盗聴器の発見のプロなんだ。」
ブライアンは、コリンとデイビットに説明をした。
「俺も、コリンが退院した日に見張られている気配を感じ、調べました。しかし、俺の持っている盗聴器発見器は作動しませんでした。」
デイビットの発言にも係わらず、ジョンは作業を続けた。
「それは市販のものか。」
ジョンは、デイビットに質問をした。
「そうです。これは安物では無く、FBIが採用しているという高性能のものです。」
デイビットは、自分の盗聴器発見器をジョンに見せた。
「これね。役に立たないよ。相手は、警察の秘密結社だ。警察とFBIの手を知り尽くしている。馬鹿じゃない限り、発見されないように、一手間加えた盗聴器を使っているよ。」
ジョンの見下したような態度に、デイビットは少し腹が立った。
「おたくだって、元FBIでしょ。」
「そうだよ。だから、私は連中の裏をかくために、様々な電波を捉えるものをこしらえたんだ。」
ジョンはお手製の器械を見せると。クローゼットの中に再び入った。
「許してくれ。彼は仕事に熱中すると、辛口に拍車がかかるんだ。」
ブライアンがデイビットを宥めた。
コリンも、デイビットの左手をそっと握り、『気にしないで。』とそっと囁いた。
ジョンは、犬の縫いぐるみを丹念に調べた。
「前から気になっていたんだ。これは、君が個人的な趣味で買ったものか。」
「どういう意味ですか。この縫いぐるみは、弟のケビンが俺の入院中に、見舞いとして贈ってくれたものです。」
今度は、コリンも苛立った。
「だって、君の体臭が強く付いているから。長い間触っていた証拠だ。31歳の男の持ち物にしては珍しいと思ったのだよ。弟さんからのプレゼントなら、身近に置くね。誰だって入院中は心細くなるものだ。おや、この匂いはヤマユリに近い。これも男にしては珍しい。おっと、話が逸れた。盗聴器を仕掛ける場所は、対象者の近くに置くものだから、この中に入れている可能性が高い。」
コリンは、大きな目をパチクリさせると、体中がポーッと暑くなった。
怒りでは無い。
寂しがり屋で甘えん坊な性格を、初対面の男に悟られてしまい、とても恥ずかしくなったのだ。
コリンの右手が赤くなり、恥ずかしさで体温が上がってくるのを、デイビットは握っている左手で感じた。
怒りは収まり、コリンのことが微笑ましくなった。
「入院中は独り寝が寂しく、抱いて寝ていたのか。俺に気を遣うなと言っただろう。」
今度はデイビットがコリンの耳元で、優しく囁いた。
コリンは更に体が暑くなった。
ジョンは縫いぐるみに器械をかざしたが、目盛りの針は全く動かなかった。
「これじゃ無かったか。」
ジョンはクローゼットから出た。
「贈り物なら、これもありますよ。」
デイビットは、壁に掛けてあるハルタデの押し花が入った額縁を指さした。
「それは無いよ。デイビット。これは、老婦人からの贈り物じゃないか。」
コリンがデイビットに反論した。
その時、ブライアンの上着の胸ポケットから、着信音が鳴った。
iPhoneを取り出した。
ベトナムにいるジュリアンからであった。
「奴は見付かったか。」
「ブライアン、電話は外でしてくれ。」
ジョンの言われるがまま、ブライアンは『悪かった』右手を挙げ、コリンの部屋を出た。
「まだです。お取り込み中でしたか。済みません。かけ直しますね。」
ベトナムで、殺し屋・アルフレッド・ハンを探索しているジュリアンが言った。
「いい。今は大丈夫だ。」
アパートの廊下は人が行き来している。
ブライアンは、ジュリアンと話しながら、アパートの玄関口の脇へ出た。
「FBIの報告によれば、5年前に大きな殺しの仕事をして、ほとぼりが冷めるまで米国へ逃ている。それ以降、奴はアメリカの裏社会にも接触せず、今日まで隠れて生きていた。」
「ええ、私の裏社会のネットワークからも、同じ内容を教えられました。彼らによれば、犯罪組織のボスの依頼で、当時の警察副長官を殺したんです。何しろ、そいつがボスから賄賂を貰っていたにも関わらず、偽情報を流したんですよ。それに引っかかったボスは捕まってしまって。」
「それは、お前達の論理だ。此方の見方は、警察長官の片腕を殺めた。だから、裁判で無罪を勝ち取っても、その後に警察の強引ながさ入れにあい、銃撃戦の末に死んだんだ。」
「まあそうですけどね。それはともかく、私はあらゆるコネクションを駆使して、2つの独自情報を手に入れました。」
「何を手に入れた。」
「1つは、伯母さんへの便りです。米国に渡って2ヶ月後に届けられたものです。」
「ホーチミン市で、ネットカフェを家族で経営している女性だろ。それについては、昨日の朝にFBIから報告を受けた。確か、渡米して2ヶ月後、極秘に一時帰国したアルフレッド・ハンは、伯母の店に入るパックパッカーに手紙を託した。伯母がその手紙を受け取って開けたら、ブレーキオイルで汚れていた便せんが出てきた。その便せんには、『伯母さん、元気にしているか。俺は元気に暮らしているので、安心してくれ。』と簡単な近況しか書かれていなかったとか。」
「その他にもあったんですよ。私の裏社会の友人の説得に応じ、FBIに内緒の約束で、教えてくれたことがありました。」
「それは、何だ。」
「多額の金額が書かれている小切手が同封されていたんですよ。それも、別人名義の。伯母さん慌てて、直ちに現金化してしまったそうです。」
「きっと、殺しの報酬だな。」
「私もそうだと思います。伯母さん、私に打ち明ける時、震えていましたからね。彼女も薄々知っているのでしょう。」
「その金はどうしたと?」
「店の改装と、お孫さん達の学費に充てたそうです。」
「大金を渡したとなると、これまでどうやって奴は生活していたのか。偽造のIDを持ったとしても、裏社会から離れ、職を転々としている生活は苦しかった筈だ。・・・そうだ!ジゴロをしていたんだ。奴は30歳年上女とできていたから、他の金持ちな女に擦り寄り、援助を受けていたに違いない。」
「いえね、それが、ベトナムでは逆なんですよ。」
「逆?」
「奴、ロリコンだったんです。奴の周辺を漁ったら、近所に住む、当時10歳の女の子をこっそりと連れ回そうとして、母親に殴られたことが発覚したんです。」
ブライアンは吐き気を催した。
「本当か?」
「女の子は無事でした。母親は警察に訴えましたが、奴は捕まりませんでした。恐らく、手を回したんでしょう。それから程なくして、奴は姿を消したので、近所では奴が大仕事をして逃げたのでは無く、女の子の親族の報復を恐れて逃げたと噂していました。それに、裏社会でも知り合いの幼い娘に馴れ馴れしくして、喧嘩沙汰にもなったこともありました。」
「変だな。」
ブライアンは頭の中で思いを巡らせてみた。
性癖といい、大金を書かれた小切手を、いくら封がしてあるといっても、どうして近くにいたパックパッカーに託したのか。
危険を冒してまでも故郷へ帰ったというのに。
それに加えて、極秘に一時帰国したと言うのに、誰とも一切接触していないのも引っかかった。
「そうなんですよ。米国で、女の好みを変えたとは思えないんですよ。私が思うに、ベトナムの殺し屋アルフレッド・ハンと、今回の事件の重要容疑者とは別人じゃないかと考えるのです。」
「私も同感だ。殺し屋なら、赤の他人にそう易々と大事なことを頼む訳が無い。パックパッカーとつるんでいるのか。それとも、そいつがアルフレッド・ハンと入れ替わったのか。」
「米国にいる仲間にも声を掛けて、調べて見ます。私は、もう一度伯母さんに会って、手紙を貰った経緯をもう一度聞いてみます。」
ブライアンは「頼んだぞ」と言うと、電話を切った。
『私の勘は当たっているな。我々が追っていた、警察の秘密結社を混乱に陥れた男はきっと別人だ。手紙を持ってきたパックパッカーの情報を集めなければならない。私の思うところでは、アルフレッド・ハンはこの世にいない。消された可能性がある。又、振り出しに戻ったか。このことは、一刻も早くコリンとデイビットに知らせよう。』
ブライアンは駆け足でアパートの中に入った。
コリンの部屋の前に着いたが、ブライアンは冷たい気配を感じた。
『重苦しいな。どうかしたのか。』
ブライアンは、スーツに隠されたガンホルダーを確認した。
一呼吸置き、ドアをノックして、開けた。
コリン、デイビット、ジョンの3人が、奥の台所に立っていた。
3人とも緊張して、シンクをじっと見ていた。
特に、コリンの顔色が真っ白であった。
ブライアンはゆっくりと歩いた。
彼に気付いたジョンが振り向いた。
「ブライアン、見てくれこれを。やはり、盗聴器が仕掛けられていた。」
台所のシンクには、木くずが落ちていた。
外枠を解体した跡である。
その中に、茶色のごく小さな器械が木くずの上に乗っていた。
外枠の中に盗聴器は仕込まれていた。
「手の器用な人間が作った高性能なものだ。FBIに探知されないように、普段はオフの状態にしてあった。オン・オフは、外からの受信器で操作される。入院中に贈られてきたというから、コリンの部屋にやって来る君達の情報を探るために作られたものだね。これは、微量な電波しか出さないから、受信は病院内でされていた。病院内、いやFBIに秘密結社の犬がいる。ブライアン、心して掛かれよ。」
ブライアンは険しい表情をして、拳を握った。
デイビットもしかめっ面をしていた。
「しまった。俺が甘かった。もっと厳重に確認すべきだった。」
「盗聴されて、泥棒が入るなんて、一体秘密結社の目的は何だ!俺を探ってどうしようって言うんだ!
」
コリンは両手で、シンクの縁を強く叩いた。