翌朝になった。
コリンとデイビットは朝食を食べながら話し合った。
コリンは、もし泥棒が入ったのならば、金目のものを取らずにTシャツ1枚だけ盗む訳がないから、もう少し様子を見たいと言った。
しかし、デイビットは一昨日から何かの気配を感じるので、このことをブライアンに報告し、部屋を調べてもらおうと発言した。
渋るコリンにデイビットは諭した。
「警察の秘密結社が絡んでいる。用心に用心を重ねないとな。」
「・・・そうだね。『臆病者以上に慎重に動け』って、裏社会で言われていたのを思い出したよ。」
デイビットは早速ブライアンのiPhoneに連絡をしたが、珍しく留守電になっていた。
それから、2人は病院へ向かった。
負傷したコリンの顔のリハビリと、イサオの見舞いの為であった。
病室に行くと、既にイサオは歩行訓練を始めていた。
傍らには、サラがいた。
「ブライアンを見なかったか?電話を掛けても留守電だったので、てっきりここへいるかと思ったんだが。」
デイビットの問いに、イサオが答えた。
「コリンが退院した後に別れてから、会っていないな。もしも、ここへ来たら、直ぐに連絡する様に伝えるよ。」
「まめに連絡する人なのに変ね?何かあったのかしら?」
サラは疑問に感じた。
その時、用を済ませた猛が病室に入ってきた。
猛はハッとして足を止めた。
猛には、コリンの顔が輝いて見えた。
『昨日退院したのが、余程嬉しかったのか。正直な子だ。裏社会にいた子とは思えない。』
「どうしました、お義父さん。」
サラは猛の様子が気になった。
「いや、今日は日差しが強いなと思ってな。」
ふと、イサオは父親の体から覚えのある香りが漂っているのを感じた。
「親父、昨日座禅をしたのか?邪避香の匂いがするぞ。」
「邪避香(じゃひこう)?」
コリンは、初めて聞く固有名詞であった。
「忍者が使うお香だよ。魔を避けるものと言い伝えられている。虫除けの成分が含まれているので、本来は衣類に炊き込めて使うものなのさ。僕達の一族は、主に座禅する時に使っているんだ。」
「この所、落ち着かないのだ。特に、昨日は寝付きが悪くて、座禅をしていた。」
「それで、邪避香を焚いたのか。疲れているんだよ親父。病院や自宅には警察が警備に付いているし、FBIが秘密結社を追い詰めている。連中も今の所は隠れるので精一杯のようで、あれから動きを見せていない。」
イサオは笑顔で言った。
「ブライアンも今朝から活発に動いているようだし、心配は入りません。」
サラも同意した。
「そうです。俺がこの病院に担ぎ込まれてから、事件は起きらず、穏やかな時が流れています。ブライアン達のお陰で、前の病院で襲撃事件を起こした男の素性も判明しました。イサオが言っている通り、秘密結社は動きが取れないでいると思います。」
コリンもイサオの意見に賛同した。
「ね、デイビット。」
コリンはデイビットに同意を求めた。
デイビットの内心は、昨夜のTシャツの件があるので、『それはどうかな。』と言いたいところではあるが、コリンの猛を思う気持ちを考えると、ここは同意した方が良いと判断し、「ああ。」と軽く肯くことにした。
コリンはデイビットの心を察し、感謝の意味を込めて、横からぎゆっと抱きしめた。
「この穏やかな時こそ、秘密結社とやらが、闇の中を蠢いているような気がしてならないのだ。」
猛は、胸の奥でざわめきを抑えることが出来なかった。
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この日、秘密結社の隠れ家は静かであった。
山本が愛車ハーレーXL 1200Lに乗ってやって来た。
玄関前の駐車場では、英国人のエドワードが愛車のジャガーの手入れをしていた。
彼は英国のみならず、米国でも長年に渡り、殺し屋家業をしていたベテランであった為、シェインからの依頼を受け、警官と殺し屋達の指導を行っていた。
エドワードにとって山本は、銃の腕前は最上級あるが、運動神経は中級の生徒であった。
「おう、山本。時間を間違えたのか?今日は半日の休みだぞ。」
シェインは、若い殺し屋に声を掛けた。
穴蜘蛛地蜘蛛の作業も終わり、全米から集められた殺し屋達は半日の休みを貰っていたのだ。
「いや、別件でシェインに報告しに来たんだ。これは、何時も世話になっているから、プレゼントだよ。」
山本は誰もいないのを見計らい、エドワードに、ICレコーダーをさりげなく渡した。
「シェインには内緒だぞ。」
山本はウィンクをして、奥の部屋に向かった。
奥の部屋には、既にシェイン、ミーシャがおり、口入れ屋からの報告を受けていた。
シェインの手にはUSBメモリーが握られていた。
「ブライアンの野郎、ルアーに引っかかったか。良くやったな。」
「金はかかったが、これで自由に野郎の情報を得られるぞ。」
口入れ屋は満足そうであった。
山本が「お邪魔します。」と言って入ってきた。
「シェイン、俺は今日はこれで失礼するよ。武器の調達があるんでね。」
口入れ屋は退室する時、山本に向かって、意味ありげにニヤッと笑った。
「例のものを持ってきた。」
山本は、上機嫌のシェインにICレコーダーを渡した。
その頃、庭にいるエドワードは何だろうと思い、イヤホンを耳にあて、ICレコーダーのスイッチを入れていた。
若い男の甘い声が耳に入った。
「君の匂いを思う存分かげる日が、戻ってきた。」
やがて、2人の男の乱れた息遣いが聞こえてきた。
「これは!」
山本はエドワードの嗜好を、正確に捉えていた。
エドワードは、無表情で14歳だったコリンの写真を見ていたが、山本はエドワードがコリンに欲望を抱いている事に瞬時に見抜いた。
ICレコーダーの声は、昨日のコリンの部屋を盗聴したものであった。
『あの子は、ベットの上でこんなに可愛い声を出すのか!』
エドワードは興奮を隠せなくなり、トイレに向かった。
「どうしたんだ?」
トイレに駆け込む音を聞いたシェインは、ドアを少し開け、外の様子を見た。
「腹下したんじゃないかね。」
山本はしれっと答えた。
シェインはドアを閉めると、又ICレコーダーに集中した。
「コリン達は、薄々俺達の行動を感づいたな。監視カメラだとばれる可能性が高いから、盗聴器だけにして正解だったな。んっ?!おかしいな。」
シェインはレコーダーの表示を見た。
「何が?」
「ブライアンがデイビットに連絡したのは、アパートに到着してから3時間後だぞ。その前のコリンとデイビットの会話とか記録してあるだろう。」
「これは編集したものだ。未編集のものは、フォルダ2に全て入っているよ。」
「俺に無断で勝手にやるな。確認の為に聞かせてもらう。」
シェインはICレコーダーを操作した。
山本はさりげなく、隣に座っていたミーシャに囁いた。
「彼は好きものだぞ。気をつけろよ。」
ミーシャは「えっ?」と怪訝な顔をした。
「恋人達が、数ヶ月振りにようやく2人きりになったんだよ。アパートに戻ってから真っ先にやることは、、、なあー、分かるだろう。だから、俺が編集したのはそれが理由だよ。」
ミーシャは驚きの表情で、シェインの方を見た。
シェインが怒鳴った。
「俺は男同志のまぐわいには、全く興味なんかない!!編集した訳を早く言え!」
シェインはICリコーダーを山本に投げ付け、部屋を出ようとした。
慌てて、山本は彼を止めた。
「済まなかった。報告がもう1つあるんだ。」
「何だ。」
シェインの顔はまだ怒りで赤かった。
「スワンスン夫人から返事を貰ったよ。夫人が所有している別荘を、“特別な条件付き”で貸してくれることになった。」
「特別な条件?」
山本は恥ずかしそうにした。
「一番若い男を紹介してくれってさ。」
山本はちらっと、ミーシャを見た。
シェインは大笑いした。
「おい、一番若くても依頼人は駄目だ。若い警官を差し向けよう。連絡してくる。」
シェインが部屋を出た時、トイレから出てきたエドワードと鉢合わせになった。
エドワードは汗をかいていた。
「おい、大丈夫か?」
「ああ、俺が呼んだ2人のスパイはちゃんと潜り込んでいる。」
エドワードは頓珍漢な発言をした。
「そうじゃない、お前の方だ。腹下したのか?汗をかいているぞ。」
「そんなもんだ。」
エドワードは、まだ頭がぼんやりしていた。
「悪いもん食ったのか。下剤をやるよ。この薬は、忍者も下痢止めに使っていたというスオウの成分が含まれている。効くぞ。」
シェインはズボンのポケットから薬を取り出した。
「有難う。俺はプロだ。本番ではキチンとやる。」
エドワードは、ぼーっとした顔付きで薬を受け取ると、庭に出た。
『ひどく腹を下したな、あいつ。いつものクールさがない。』
シェインは心配しつつ、若手警官のスマートフォンへ連絡を入れた。