トレラーハウスから飛び出してきたのは、ニックの愛犬・ロボであった。
シェパードの雑種のロボは、大きな体を揺らしながら駆け寄って来た。
真ん丸な黒い瞳は、真っ直ぐにコリンを捉えていた。
ニックが急いでロボを捕まえようとしたが、僅かの差で逃げられてしまった。
勢いよくコリンに飛び付いたロボは、挨拶代わりに、顔をペロペロ舐めた。
コリンは「可愛いな。」と大きな笑顔で、ロボの熱烈歓迎を全身で受け止めた。
側にいたマックスは笑った。
「ロボは大の人好きでね、猫好きな私でも大歓迎するのだよ。」
「よさんか!怪我人なんだぞ!!大人しくしろ!」
ニックが慌てて、ロボをコリンから引き離した。
ロボはまだ物足りな様子で、尻尾を大きく横に振った。
「いつもはニックの言うことに従うのに。これ程、初対面の人間を歓迎するなんて珍しいな。」
マックスは驚いた。
「コリンの匂いに惹かれたか。」
ニックは、コリンに再び突進したがるロボを必死に止めていた。
「臭い?失礼じゃ無いか。」
マックスは眉をひそめた。
「臭いのほうじゃない。香しいほうだ。コリンの体から、ヤマユリに似た匂いがするんだ。香水をつけているんだろ。」
コリンは腕をくんくんさせた。
「俺、何も付けていないよ。いつもの体の匂いなんだけどな。」
「じゃあ、天然か。珍しいな。おい、こら、いい加減に大人しくしろ。」
ニックは、必死に興奮するロボをなだめようとしていた。
「まだ足りないんだね。俺は大丈夫だよ。」
コリンはロボに近づき、全身を優しく撫でた。
ロボは徐々に落ち着きを取り戻した。
「犬に慣れているのか?」
ニックが尋ねた。
「ああ。10代からペットシッターのバイトをしていたからね。ねえ、ロボは幾つ?」
「3歳と6ヶ月だ。こいつを引き取って3年になる。」
ロボの話題で盛り上がった。
暫く話し込み、コリンとデイビットが帰ろうとした時、マックスがポケットから、ビスケットの入ったビニール袋を渡した。
「退院祝いだよ。」
「有難う。この前頂いたお菓子も美味しかったよ。もしかして手作り?」
「そうだよ。私が作った。料理が趣味でね。」
マックスははにかんだ。
「だから、再婚できないんだ。」
「おい、余計なことをいうな。」
ニックとマックスが顔を見合わせて大笑いをした。
「ニック、笑うようになったね。良い表情だよ。」
コリンが言うと、マックスも同調した。
「公務員をやめたからだ。気が楽になったんだよ。」
ニックが照れくさそうに答えた。
デイビットがスバル・フォレスターのロックを解除した瞬間、ロボが吠えた。
「又、会いに来るからね、ロボ。悲しまないで。」
コリンは、再びロボに近づくと、頭をたっぷりと撫でた。
ロボは歯をむき出して笑った。
「初対面なのに、もう相思相愛だな。」
デイビットも笑いながら、コリンの後に次いでロボの頭を撫でた。
2人を見送ると、マックスもやがて帰路についた。
マックスの車が見えなくなると、ニックは急に険しい表情を浮かべた。
ロボはさっきと打って変わり、心配そうな顔つきをしてニックの側に寄った。
「心配するな。まだ初期の痛みだ。直ぐに薬を打てば落ち着く。」
ニックはロボの脇腹をさすると、トレーラーハウスに戻っていった。
コリンは2ヶ月ぶりにアパートへ戻って来た。
アパートの住民は、コリンが交通事故に遭ったと思っているので、声を掛けてくれた。
コリンも笑顔で答えた。
部屋に入ると、荷物を置いて、中をを見渡した。
何時もと変わらない状態であった。
入院中、デイビットが何時戻っても良いようにと管理していたのだ。
コリンは伸びをした。
「ふうー。ちょっと移動しただけで疲れるなんて。体力はまだ元に戻っていないや。」
デイビットが後ろから、コリンの首に、テリーから貰ったペットボトルをそっと当てた。
「きゃっ!」
コリンは叫ぶと、しゃがみ込んでしまった。
コリンは、首の後ろが弱い。
特に、冷たいもので触れられると全身がふにゃふにゃになる。
デイビットは付き合ってすぐに見抜いた。
「この感覚は、すっかり元通りになったな。」
デイビットがいたずらっぽく笑った。
「もうっ!驚いたじゃないか!」
コリンは半分笑いながら、デイビットの胸を軽く叩いた。
デイビットはコリンを強く抱きしめた。
「お帰り。よく頑張った。」
コリンは顔を胸に埋めて微笑んだ。
「君の匂いを、思う存分かげる日が戻ってきた。」
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隠れ家から出てきたバンを追って、ジュリアンの手下の情報屋の乗ったビートルが付けていた。
その様子を、隠れ家の塀に設置した防犯カメラが捉えていた。
「やはり、ジュリアンはここを見付けたな。」
ルドルフが防犯カメラの映像をじっと見た。
ルドルフとシェインの2人は、モニター室でじっと防犯カメラの映像を覗いていた。
「見付けたと言うよりは、まだ探りの段階だ。まだ、フランス人が借りていると連中は思い込んでいる。俺達の存在には気付いていない。」
シェインがモニターを操作しながら言った。
「それも時間の問題だ。早くここを出よう。折角、俺達を混乱させた男の正体が分かったというのに。」
「案ずるな。ベトナム人の探索は、FBIもまだ始まったばかりだ。俺達も警察にいる仲間の刑事に頼んである。そいつの件は、当分彼に任せよう。今、俺達の懸案は、新しいアジトの件だ。口入れ屋に色々と探させているが、なかなか良い物件が見当たらなくてな。」
「穴蜘蛛地蜘蛛が完成したというのに、困った。20名近くの男達が住めて、訓練の出来る広い庭があり、それに誰にも気付かれない場所か・・・。」
ルドルフは腕を組み、上を向いて、悩んだ。
シェインが一つの提案をした。
「さっき、口入れ屋が言っていたんだが、山本に頼んで見てはどうかと。」
「何でだ?」
「あいつ、大金持ちの奥方の愚痴聞き役をしているのは知っているな。」
「ああ。しかし、奥方を人質に取って、家を乗っ取ったら、旦那に警察に通報されるのは、火を見るより明らかだぞ。」
「手荒な事はしない。ただ、夏用の別荘を1軒貸して欲しいと頼むだけだ。それに、夏の間は旦那はスイス、奥方はアメリカと、それぞれの生まれ故郷で過ごすことが恒例行事なんだ。子供達は独立しているし、家族に怪しまれることはない。安心しろ。」
「夏用の別荘か・・・。ところで、奥方の正体は?」
「ヴィッキー・スワンスンという、欧州では名の知れた不動産会社の会長夫人だ。このマイアミにも幾つかの物件を持っている。山本によれば、生まれはアメリカだが、映画会社の重役だった父親が赤狩りに遭ったのをきっかけに、イギリスに移住し、そこで留学生だった旦那と出会い、結婚したそうだ。」
「赤狩り?1950年代の話じゃないか。夫人は今幾つだ?」
「今年で80とか聞いたな。山本のストライクゾーンは広い。」
ノック音が、モニター室に響いた。
「山本か。入れ。」
シェインの声かけに、山本が入ってきた。
『変わった男だ。』
ルドルフは思った。