コリンの治療費と入院費は、匿名の人物が支払ったとの会計課・職員の話であった。
デイビットがいくら頼んでも、病院側は支払った者の情報の開示を拒んだ。
支払った者が、病院側に口止めしたのだ。
FBIに聞いても、答えは同じであった。
『余程の金持ちで権力がある野郎なのか。』
そこで、デイビットは情報屋のジュリアンに頼んだ。
20分後、返事が来た。
マイアミのパームビーチに隠居している、元実業家のトーマス・サンダーと判明した。
デイビットは、トーマスの名前には覚えが無かった。
病室に戻り、コリンに聞いても、その名には記憶が無かった。
コリンの脇に座っていたサラは、その名前を耳にすると、嫌悪感を露にした。
イサオも、嫌な顔をした。
「彼に見覚えがあるのか?」
デイビットの問いに、サラは肯いた。
「あの、クズ。とんでもないことをして!」
サラは怒り出した。
「どうして、そんなに怒るの?」
コリンは不思議そうな顔をした。
「トーマスは、大金持ちだった祖父の遺産で、若くして事業を起こして、成功を収めて、40代で現役を引退した人だ。それから10年も隠遁暮らしをしている。サラとは、長年の友人だった。昨年の終わり頃に、ホームパーティに呼んだけど、嫌なことがあって、サラは彼と絶交したんだ。」
イサオが代わりに答えた。
「もしかして、俺とデイビットも出席したパーティ?」
「そうだよ。」
「どうして、その彼が、治療費を払ってくれたんだろう?」
「単なる、偽善よ。コリンを貧しい自動車修理工と見下し、施しを与えて自己満足に浸っているのよ。最低な男。」
「嫌なことって?」
「今は思い出すも嫌なの。」
「それは、後で僕から話すよ。」
サラは怒りの表情をしたまま、病室を出ようとした。
「お金を返してくるわ。」
「俺も行く。」
デイビットが椅子から立ち上がった。
「デイビット、気を付けて。」
コリンは心配そうな顔付きをした。
「大丈夫だ。冷静に話して金を返しに行くだけさ。」
サラとデイビットは、金を返すべく、トーマスの自宅へ向かった。
コリンの病室には、コリン、イサオ、そして猛が残った。
「イサオ、トーマスって人はもしかして・・・。」
猛が恐る恐る尋ねた。
「親父の見立て通りさ。彼はゲイなんだ。今でもコリンに惹かれているんだろ。」
猛は驚き、コリンは目を見開いた。
「クリスマス・パーティの後、彼はサラにコリンを紹介してくれとしつこく言ってきたんだ。何度もコリンにはデイビットというパートナーがいるんだと話しても聞き入れてくれなかったんだ。それで、サラは怒って、彼と絶交したんだ。彼には、下院議員の双子の兄がいて、きっと彼を通してコリンがこの病院に入院していることを知ったのだろう。FBIと病院が彼の名を出さないもの、双子の兄の力だろ。コリンに恩を売って、何とかものにしたいという下心があるんだよ。」
イサオは顎を摩った。
猛は息子のその仕草を見て、瞬時にその言葉が嘘だと見抜いた。
サラのBMWで、2人は金を返すべく、トーマスの自宅へ向かっていた。
運転するサラの目から、涙が零れて来た。
「御免なさい。」
サラは左手でハンドルを握りながら、片方の手で涙を拭った。
「どうした?」
「思い出したのよ。アイツから、14歳のコリンが、シアトルの金持ちに身を売った事を聞かされたのを。」
「知っていたのか?」
「去年のパーティの後で、初めて知らされたわ。父親の命と引き換えだったのでしょ。私、怒ってアイツを叩き、絶交して家から追っ払ったわ。その後、イサオに問い質したの。イサオは、17年前の事を教えてくれたわ。」
車の中は、重い沈黙が続いた。
「私の責任でもあるわ。」
「えっ?」
「契約書の中に、『金持ちの家で見た事は家族にも内緒にしなければならない。』との項目を見たイサオは、初めは拒否したの。だけど、サインをする様にと背中を押したのは、私ですもの。私は、イサオが金持ちの専属看護師になれば、キャリアが上がると思っていた。当時の私は単純だったわ。」
サラの頬に又、涙が零れ落ちた。
「でも、イサオが金持ちの専属看護師になって、私は良かったと思っているの。」
「えっ?」
「もしも、イサオが金持ちの専属看護師にならなければ、コリンは金持ちの家に軟禁され続け、過酷な環境に置かれたままだったもの。」
「そうだな。」
「見てみぬ振りだったブライアンに勇気を与え、二人で協力して、コリンを助け出したのよ。それを、今迄家族にも話さず、自慢しないイサオを、私は誇りに思うわ。」
「ああ。それに、イサオは今でもコリンを実の弟の様に可愛がってくれる。俺も、イサオは素晴らしい男だと思う。」
サラのBMWは、高級住宅地・パームビーチにあるトーマスの屋敷の前に到着した。
入り口のゲートに設置されているインターフォンを、息を整えてから押したサラは、自分の名前を告げ、面会を申し入れた。
ゲートは直ぐに開いた。
BMWが車を10分程走らせると、中世の城を思わせるような豪邸が見えてきた。
車は玄関の前に到着した。
既に、執事が待っており、車のドアを開けた。
「悪いけど、貴方一人で行ってくれない?私が行くと、又彼の頬をひっぱたきそうで。」
「分かった。駐車場で待ってくれ。」
デイビット一人がBMWから降りた。
執事に豪邸の中を通された。
中も中世の城の様式を再現され、廊下に至る所に煌びやかな壷が置かれていた。
『ごてごてした成金趣味だ。』
デイビットは、心の中で毒を吐いた。
こじんまりとした客間に通された。
「サラ様は屋敷に入りたくないと申されまして。その代わり、サラ様のご友人のデイビット・ネルソン様がお越しになられました。」
執事が、ソファに腰掛けていた、高級シルクで誂えた濃い赤色のガウンを羽織った男性に語りかけた。
50代と聞いていたが、瘦せこけた姿からは60代後半にしか見えなかった。
「トーマス・サンダーです。サラが開いた昨年のクリスマス・パーティでお見かけしました。ようこそ。」
手入れが行き届いた手を差し伸べたが、デイビットは拒否した。
「俺のことは分かっているな。」
「はい。貴方は、ネットトレーダーをされており、コリンのパートナーですね。」
「そうだ。これを返しに来た。」
デイビットは、トーマスが振り込んだ同じ額が書かれた小切手を、上着のポケットから出すと、彼に付き返した。
「私は、コリンに酷い事をしてしまった。その償いをしたかった。」
アレキサンダーは、返された小切手を再び、デイビットに渡そうとした。
「断る。」
デイビットはきっぱりと拒絶した。
トーマスは告白した。
「17年前の夏の事だった。私は、友人に誘われて、彼のシアトルの自宅を訪れた。その夜、彼の愛人を紹された。彼は16歳と聞かされていた。あれ程の美しい少年を見たのは、生まれて初めてだった。友人は、愛人と夜を楽しもうと誘ってきた。私は、当初は断った。複数でするのに、抵抗があったからだ。しかし、彼は、『愛人はとても性に貪欲な子だから、受け止めてやってくれ。』と言ってきた。愛人も、強い色気を出して、『抱いて。』と、私を誘惑してきた。私は誘惑に負け、彼らと朝まで愛し合った。」
『このクソ野郎。』
胸のガンホルダーに手をかけそうになった。
「後から、彼がまだ14歳で、父親の治療の為に無理やり客を取らされていたことを知ったのだ。最高の思い出が、悪夢に変った。私は、あの美しい少年を汚し、傷つけてしまった。それから、私はずっと罪悪感に苛まれてきた。」
トーマスは涙を溢し、ガウンのポケットからハンカチを取り出して、顔を拭いた。
「去年、サラのホーム・パーティで、コリンを見かけた時、あの少年だと一目で分かった。妖艶さは薄くなっていたものの、綺麗な顔立ち、何よりもあの芳しい香り、当時のままだった。彼は私を覚えていなかった。それだけが、救いだった。」
「で、サラに全てを打ち明けたのか。」
「罪の意識に、耐え切れなかった。誰かに聞いて欲しかった。だが、話を聞いたサラは私の頬を叩き、絶交を宣言した。」
「当然だ。サラにとって、コリンは弟の様な存在なんだぞ。その弟をお前は深く傷つけ、今頃になって、コリンの過去をお前はばらしたんだぞ。」
トーマスは、ソファの上でワンワン泣き出した。
『一生苦しめばいい。死んだ後に最後の審判を受け、地獄の業火に焼かれても、ずっと罪の重みを感じていろ。』
デイビットはサンダーに憎しみをぶつけ、急ぎ足で自宅を出た。
サラは駐車場で、BMWから降りて待っていた。
「一発お見舞いした?」
「我慢した。俺が殴ったら、あいつ死んでしまうからな。」
「それもそうね。何よ、『恍惚の表情が演技だったとは、信じられなかった。』とか、『あの夜以上の快楽を得る事はなかった。』と、平然と言っていたでしょう。あいつ、少年を傷つけた罪悪感よりも、何も知らなかった自分を哀れんでいるのよ。」
サラは怒りで、車のドアを後ろ蹴りした。
「ねえ、塀の向こうから、変な音が聞こえてこない?さっきから、何回もするのよ。」
デイビットも、プッシュ、プッシュと音が複数回聞こえた。
「サイレンサーだ。」
微妙な音の違いから、2丁以上の銃を撃っているとデイビットは察した。
昼間から、サイレンサー付きの銃を扱うとは、周囲に銃を使っていることを悟られたくない人間のすることだ。
きっと、裏社会の男達が隣の家にいる。
デイビットの目付きが鋭くなった。