コリンは夢を見ていた。
暗闇の中を逃げ回っていた。
しかし、足がとても重く、前に出すだけでも一苦労であった。
重い足を引きずりながら、何処へ逃げても、後ろから何者かが追っかけてきた。
コリンは必死に逃げた。
しかし、追手が目の前に現れた。
なんと、追手はニックとビリーだった。
彼等は無表情のまま、コリンに向かって刀を振りかざした。
コリンは、「わあっ!」と叫んで、飛び起きてしまった。
寝ぼけ眼で辺りを見渡した。
コリンしかいない、明け方の病室であった。
「おかしな夢を見たな。助けてくれた2人に殺されかけるなんて。」
再び寝ようとしたが、寝付けなかった。
ベットの脇にある本をパラパラと捲った。
猛から借りた忍術の入門書であった。
「ビリーはどうやって十字の秘術を知ったのかな。ブライアンは、そこから事件の糸口が見付かる可能性があるから、ジュリアンと協力して調べると言っていたけど。」
コリンは、本を更に捲った。
手裏剣のページに目を留めた。
「俺を助けた時、ニックは釘のようなものを投げた。FBIの聴取に対して、ニックは『小型ナイフを投げ付けた。』と証言していたそうだけど、俺にはそうは見えなかった。黒く光っていたから。手裏剣に似ていたな。ニックとビリーは何か隠している。ブライアン達の調査で、何が出てくるのだろうか。ちょっと、怖くなってきたな。」
コリンは本を閉じて、再び眠った。
朝の診察があり、肌が落ち着いてきたということで、医師から髭を剃って構わないとの許可が下りた。
早速、コリンはデイビットにアパートから持ってきて貰った、シェーバーを使い、髭を剃った。
「綺麗になった。」
デイビットが、手鏡をコリンに渡した。
鏡で見る自分の顔はまだ腫れていて、頭に包帯が巻かれていた。
だが、髭を剃ったので、すっきりした気分になった。
一段落ついた頃、iPhoneが鳴った。
画面を見ると、母の美賀子からだった。
どっきとした。
側にいたデイビットは、怪訝そうな顔付きをした。
「母さんからだ。」
コリンの言葉に、デイビットも緊張した。
深呼吸して、電話に出た。
「やあ、母さん。久しぶり。元気?父さんの具合はどう?」
「お父さんの病状は、安定しているわ。私も元気よ。それよりも、コリンは怪我の具合はどうなの?」
コリンに衝撃が走った。
『何故、ロスにいる母さんは俺の怪我を知っているのか?マスコミは、俺の名前は出さなかったのに。』
「えっ、何のこと?」
コリンはとぼけた。
「怪我したんでしょ。刑事さんから聞いたのよ。勲さんを狙っている犯人達に、コリンが頭を殴られて入院したと。この事件は極秘扱いだから、内緒にしてくれって刑事さんに何度も言われたけど、私は貴方の母親よ。息子が怪我をして、黙っていることは出来ないわ。」
「刑事?」
「そうよ。先日、貴方のことを聞く為に、マイアミからこのロスへ来られたのよ。」
「俺のことを調べに?」
「ええ、そうよ。勲さんとブライアンさんとの関係を調べにね。何時出会ったとか、何回会っていたとか、色々と聞かれたわ。」
『刑事が俺達のことを調べてる?』
コリンは背中に寒いものを感じていたが、無理して明るい口調で母親に、自分のことを伝えた。
「大丈夫だよ、母さん。単なる事情聴取さ。俺が勲の看護している事は知っているだろ。悪い奴が、勲を又狙ってね。俺が勲を守ろうとして、逆に頭を殴られたって訳さ。たいした怪我じゃないんだ。軽症さ。念の為に、検査入院しているだけさ。もうちょっとで退院できる。心配しないでね。」
「まあ、そうだったの。で、勲さんはご無事なの?」
「無事だよ。猛さんやデイビット達がいたからね。」
「デイビットさんはそこにいるの?お話したいわ。」
意を決して、コリンはデイビットにiPhoneを渡した。
コリンの話し声で、事態を把握しているデイビットは、コリンと同じ様な明るく振る舞い、美賀子を安心させようと心を砕いた。
「初めまして。私がデイビット・ネルソンです。警察から口止めされておりまして、大事な息子さんの連絡が遅くなって申し訳ありません。大変な事態が起きましたが、コリンは軽症ですし、自分が側にいるので、心配ご無用です。」
デイビットと話をして、美賀子もようやく心が穏やかになったようだった。
再び、コリンに代わった。
「コリンの言う通り、優しそうな方ね。お母さん、ホッとしたわ。」
少し話して、コリンはiPhoneを切った。
「何で刑事が、母さんの所へ行くんだよ。」
不満をぶちまけた。
「ブライアンに報告しよう。」
デイビットが携帯を取り出した。
その日の夕方には、ブライアンからの返答があった。
一人の刑事によるスタンド・プレーであったと言うのだ。
コリンが殺されずにいたので、秘密結社と何か関わっているのではと勘ぐっていたそうだ。
誘拐されたのは、秘密結社と連絡を持つ為で、怪我を負ったのは勲達の目を誤魔化す為ではと、疑っていたというのだ。
そこで、刑事はコリンの関係者を洗い出していたのだ。
極秘情報を漏らしたとブライアンの抗議を受けた警察の上司は、刑事に口頭注意をした。
「元々、その刑事は、一匹狼な上に、FBIが嫌いで、一足先に秘密結社の事を解明しようと躍起になっていた。上司を通じて、コリンが秘密結社と関係無いと伝えたから、もう心配はいらないぞ。」
「俺が裏社会にいたから、その刑事は疑ったんだね。」
「実は、そうなんだ。誘拐され、重傷を負ったのにな。もう気にするな。」
ブライアンの励ましにも、コリンは落ち込んだままであった。
デイビットが、そっとコリンの肩に手を置いた。
あれから数日が過ぎ、美賀子からの電話があった週の土曜日になった。
突然、病室のドアが開いた。
コリンに良く似た茶色の大きい目をし、茶色の髪を七三に分けた背広姿の若者が入って来た。
10歳下の弟のケビン・マイケルズが見舞いにやって来たのだ。
腰を抜かさんばかりに驚いたコリンは、自分の姿を隠したくなり、摩利支天の呪文を唱えたくなった。
ケビンは機嫌の悪い表情をして、ドアを強く締めた。
勢いがあったので、スライド式のドアは一旦閉まったが、反動で数センチ戻ってしまった。
「一体、どこが軽症なんだよ。かなり顔が腫れているじゃないか。体中に包帯を巻いているし。母さんに言っていたこととは全く違うじゃないか。」
挨拶もそこそこに、ケビンはコリンに空港の花屋で買ってきた小さな花束を投げ付けた。
ケビンはコリンの側に座っていたデイビットを見付けると、罰の悪そうな顔になり、挨拶をした。
「初めまして、デイビットさん。弟のケビンです。母に頼まれて、兄の見舞いに来ました。」
デイビットも困惑しながら、握手を交わした。
コリンが見せてくれた写真より大人になっていた。
「母さんに頼まれたのか。」
コリンが寂しげに言った。
「だって、刑事さんから兄さんが怪我をしたと聞かれたんだよ。僕の時は、トラブルに巻き込まれたとしか聞かされなかったけどね。心配した母さんは、直ぐにマイアミに飛んで行きたかったけど、病気の父さんを一人にする訳にはいかないよ。だから、母さんは僕に頼んできたんじゃないか。どうして、本当の事を母さんに言わなかったんだよ。」
刑事がコリンの家族の元を訪問したことに、デイビットは驚いた。
『母親だけじゃなく、弟まで聴取している。一体何故?』
コリンは、突然の弟の訪問で、そこまで頭が回転させる事はできなかった。
「母さんには済まないと思っている。だけど、父さんの事で大変なのに、俺の事で余計な心配を掛けさせたくはなかったんだ。理解してくれよ。」
「兄さんは、本当は寂しがり屋の甘えん坊なのに、どうして何時も周囲に気を遣うんだ。家族じゃないか。僕にだけでも、事実を言って欲しかったよ。」
「お前だって、仕事や大学院での勉強もあるだろう。それにしても、よくここが分かったな。」
「マイアミに来る前に、刑事さんに電話をして聞いたんだよ。刑事さんは『特別だよ。』と言って、教えてくれたんだ。病院に着いたけど、受付でいくら尋ねても、『該当する人物はおりません。』と撥ね付けられたんだ。それで、イサオさんのことも聞いても、同じ答えだった。」
「警備の都合上、俺達のことは極秘なんだ。それにしても、誰から病室を聞いたんだ。」
「刑事さんが教えて貰った病院が間違えだったのかと思い、帰ろうとしたんだ。そうしたら、側で見ていた患者さんが、僕に声を掛けてくれたんだ。『奥の部屋にFBIの人が詰めているから、その人に身分証明書を見せれば、病室を教えてもらるかもよ。』と。それで、詰め所に行って、その通りにしたら、FBIの人が教えてくれたんだよ。」
コリンは一握りの患者しか接触していなかったので、ケビンに尋ねた。
「その患者さん、どんな人だった?」
「日系人だったよ。日本語の小説を読んで、診察を待っていたんだ。」
余計、コリンは疑問に思った。
外来患者とは、全く接触が無い為だ。
コリンの元には多くの見舞い客が訪問しているが、入り口のFBI捜査官から他所には話さないようにと、口止めされている。
関係者以外の人物が、コリンのことを知っているとは思えない。
「おかしいな。日系人の患者とは面識がない。どうして俺の事を。」
「女性医師や、看護師さん達が、FBIの警護付きで、茶色の大きい目をした入院患者のことを、しきりに話題にしていたからって、その人は言っていたよ。僕も兄さん似で、目が茶色で大きいから、身内だと分かったみたい。兄さんは、どこにいても人気があるよね。」
「馬鹿言うな。」
側に座っているデイビットに気を遣い。コリンはあえて不機嫌な表情をした。
デイビットは嫉妬よりも、『以外な場所で、コリンの情報が洩れてしまっている。』と危機感を抱いていた。
「ケビン、母さんには俺の事は内緒にしてくれ。」
「兄さん、命に関わることなんだよ。恋人が夜這いしたのとは、訳が違うんだ。母さんに、内緒には出来ないよ。」
「夜這い?」
デイビットがこんな話を耳にしたのは初めてだった。
「デイビットさん、兄さんから聞いているでしょう。高校時代に、5人もの恋人が夜這いしていた話を。」
「そんなにいないぞ!」
コリンは声を荒げてしまった。
デイビットの眉が、ピックと動いた。
コリンから、10代の時に奔放な恋愛経験を重ねていたと聞かされていた。
だが、そこまで奔放とは思いもしなかった。
「嘘だ。僕が知っているだけでも、5人はいたじゃん。初めに、隣町のチアリーダー。」
「彼女は、恋人じゃない。バイト仲間だ。継母と喧嘩して、家出したけど、行く所が無かったから、朝まで泊めてあげただけだ。翌朝、自宅に帰って、継母と仲直りしたんだ。それだけだ。」
「そうなのか。でも、高校の上級生で、アメフト部の主将と副主将をしていた双子とは、友達じゃなかったよね。」
『双子?!』
デイビットの表情が益々険しくなった。
「あと、ハンサムな転校生も来たし、・・・。」
ケビンは指を折って数え始めたが、コリンがガバッと起きて、ケビンの手を掴んだ。
コリンの視線に気が付いて、ケビンは後ろを振り返ったら、ドアの隙間から猛が立っていたのが見えた。
その後ろには、イサオ、サラもいた。
猛の表情は曇っていた。
「済まない。ドアが開いていたものだから。」
=====
この日の夕方、突然大雨が降ってきた。
FBIの事情聴取を受けて帰宅してきたニックは、車から走って自宅のトレーラーハウスに戻った。
中に入るなり、ニックは嫌な表情をした。
ジョーが、愛犬ロボのお腹を摩っていたからだ。
ロボも気持ちよさそうにしていた。
「お帰り。」
「お前、来るなら、来ると電話をしろよ。この時間は、見張りの警官が起きているだろ。」
外では雷が鳴り、雨足が更に強くなった。
ニックは、棚からタオルを引っ張り出すと、濡れた体を拭いた。
「薬が切れる頃だから、新しいのを持ってきたのに。外を見てみろよ。さっきから、雷が随分と落ちて、大雨が降っているだろ。忍歌の『大風や大雨にしげき時にこそ 夜うち忍びは入るものぞかし』を実践しただけだ。見張りにはばれてないから、心配無用だよ。」
ジョーは、紙袋をニックに渡した。
「代金はもう少し待って欲しい。今は空ッケツなんだ。」
「シェインの方が、金払いは良いぜ。」
「金の用意は直ぐにする。数日の辛抱だ。」
「分かったよ。」
ジョーは不満そうな顔付きで、トレーラーハウスを出た。
ニックはしまったと思った。
この男は金次第で、味方を平気で裏切り、敵に寝返る。
『今まで心を許しすぎた。用心しなければ。』と肝に銘じた。
突然、ドアが開いた。
「悪い。忘れ物だ。」
ジョーは、机の上に置き忘れていた本を掴んで、去り際に「用意が出来たら電話をくれ。」と言うと、森の中へ消えていった。
「全く。アイツに関わると、心臓に悪い。」
再び雷が光り、ロボは怯え、ニックの足元へ駆け込んだ。
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迷彩色の雨具を着て、森の中を歩いていたジョーは、隠してあった愛車・GSX1100S カタナの側に座った。
雨足が弱まるまで待つつもりであった。
携帯のバイブが鳴った。
出ると、シェインであった。
「山本、調査は進んでいるか?」
「もう少し時間をくれ。今、現場近くの何でも屋を調べている所なんだ。」
「何でも屋は、既に秘密結社のメンバーが調べたぞ。店主は誰も怪しい男はいなかったと証言していた。」
「ニックは、何でも屋を頻繁に利用していただろう。得意客を、店主が一見の男に話すかい?店主は、毎日買い物する客のリストを作っていたそうだ。それに、防犯カメラを店の内外にあちこち設置している。裏社会の連中にバレたら大事だから、防犯カメラの位置は店主しか知らないらしい。」
「それは初耳だ。」
「今、店主の女房を篭絡して、顧客リストと当時の映像を手に入れようとしている所だ。」
「お前、やるな。リストを手に入れたら、連絡をくれ。」
「大金を貰ったからな。キチンと成果を出すよ。」
ジョーは携帯を切った。
雨の勢いは、まだ弱まらなかった。
「こりゃ、明け方まで降るな。」
苦い表情をしたジョーは、計画を変更せざるを得なかった。
雨具を脱いで、隠してあったフルフェイス・ヘルメットを被ると、カバーを外して愛車に跨り、雨に濡れながら大通りへ向かった。