コリンを助けたニックは、そのまま警察に連行されていた。
長いこと事情聴取を受けていた。
誘拐されたコリンを助けた事、ビリーの証言、何よりも秘密結社の男達が銃を手にしていた事から、ニックの正当防衛が立証された。
しかし、秘密結社のメンバーの疑いがかけられていた。
2週間前に釈放されたニックは、直ぐに愛犬ロボをペットホテルから引き取り、トレーラーハウスに戻っていた。
毎日、警察に行って任意の事情聴取を受け、夜は静かにロボと過ごしていた。
警察の見張りがあったが、ニックは気にもしていなかった。
散歩に行く振りをして、警察の目を掻い潜り、こっそりとシェイン達と会っていた。
毎日、早朝にロボを森の中で散歩させていた。
警察はニックの日課に監視していた。
2週間も過ぎ、ロボの散歩に不自然な点が見当たらなかった為、この時間帯は監視の目を緩めていた。
この日も散歩させ、30分後トレーラーハウスの前に戻った。
中から人の気配がした。
ロボは、尻尾をブンブン振った。
ニックは苦い顔をした。
トレーラーハウスのドアを開けた。
一人の東洋系の男が、椅子に足を組んで座り、マルボロを吸いながら、井上靖著の『風林火山』を読んでいた。
男の顔には、無精髭が生えていた。
「ジョー、その長い足をどけろ。」
ニックが、男の足を払いのけて、奥に入った。
「かなり、老けたな。それにやつれた。」
「お前が変らな過ぎなんだ。」
ニックは、この男とは17年もの腐れ縁になる。
だが、彼は40に届く年齢の筈なのに、見た目は20代に見える。
昔から、ジョーの外見は変らなかった。
男は、10の名前を使いこなしており、ニックの前ではジョーと名乗っていた。
「ロボ、お土産だよ。」
男はジャケットのポケットから、犬用のステックキャンディーをあげようとした。
ロボは、満面の笑みでそれを食べようとしたが、ニックが取り上げてしまった。
「ロボは今ダイエット中なんだ。間食は厳禁だ。」
「これ、ノンカロリーなんだぜ。」
「それよりも、あれを出せ。」
ニックは男を睨み付けた。
「ほい。今回は多めに持ってきたよ。ドーランも。」
ジョーは大きな紙袋を、床に置いてあったリュックから取り出すと、それをニックに渡した。
「助かる。このドーランはいい。どんなに厚塗りしても、自然の肌の色に見える。」
ニックは紙袋の中身を確認し、現金の束を男に投げた。
ジョーは、右手の3本指で受け取った。
ニックはハッとした。
「どこで覚えた。」
「何を?」
「この指だ。」
ニックは、ジョーの手を掴んだ。
指先は細かい傷が付いていた。
「これね。YouTubeを見てやったんだ。ニンジャの真似事さ。」
男はニヤリと笑った。
「大分前から修行しているな。それも1年以上前から。YouTubeを見る前からやっていたな。お前、見たのか。」
「ここにあった本を、ちょっと見ただけだよ。あれ、処分したのか?せっかく日本語を覚えたのに、残念だな。」
ジョーは平然と嘘をついた。
ニックの持っていた本には、指の鍛錬方法に関して、何も書かれていない。
ニックは、男の手を離すと、深呼吸した。
『こいつ、俺達の修行を盗み見た。俺のしたことが、気付かなかった。』
「シェインから聞いているだろ。一人の元ヤクザが仲間に入ったと。」
ジョーは、尻尾を振って近寄ってきたロボの頭を撫でた。
「アメリカ人なのに、日本人に化けるとは。それも、年を25歳と誤魔化して。10以上もサバを読むなんて、信じられん。お前、ばれたらどうするんだ。」
「大丈夫だよ。髪と目の色は元に戻してあるし、髪型と顔の形も変えた。髭も生やしているしね。俺は若く見えるのが、取り柄だ。バレやしないさ。それに、忍歌に書いてあったじゃないか。『しのびには習の道は多けれど まず第一に敵に近づけ』とね。」
シェイン達の前では、ジョーは別の偽名を騙った。
持っている小説の主人公・山本勘助の諱・晴幸を使ったのだ。
山本勘助は、武田信玄に仕えた戦国武将であり、一説には武田家の忍者軍団を束ねていたという。
ニックは再び睨んだ。
油断ならない男だと思った。
「『生兵法は怪我の元。』という諺も覚えておけ。・・・!ぐうっ!」
ニックの体に激しい痛みが襲い、立っている事が出来なくなり、床に倒れ込んでしまった。
「畜生!突然きやがって!!」
ロボが、痛みで悶えている主人に寄り添った。
ジョーは慌てることなく、先程ニックに渡した紙袋を開け、その中から薬と注射器を取り出した。
薬品を注射器に移し変えると、男はニックに尋ねた。
「消毒薬とコットンは?」
痛みの余りしゃべることが出来ないニックは、台所のシンクを指差した。
ジョーは、シンクから消毒薬とコットンを見つけた。
それから、ニックの袖を捲り、左腕を消毒すると、注射を打った。
ニックは情けなかった。
自分で痛みをコントロールする事が出来なくなり、この男に助けてもらうとは。
程無く、ニックは全身の激痛から解放された。
ニックはぐったりとして、ベットに座った。
「多めに持ってきて正解だったな。又、足りないくなったら、遠慮なく言ってくれ。」
男はそう言うと、トレーラーハウスを出ようとした。
「一つ、頼みがある。」
ニックが、男を引き止めた。
「いいさ。ロボなら、喜んで引き取る。」
「冗談じゃない。お前みたいに猫可愛がる様な男に、大事なロボを預けられるか。ロボはきちんとした家に引き渡す。俺が頼みたいのは、前に話したことだ。改めて依頼したい。」
「あれのことか。金はあるのか?」
「人の金だが、秘密結社には5つの秘密口座がある。それの一つをお前にやるよ。」
「それなら受けるよ。そうだ、忘れる所だった。あの子、良くなっているよ。この前、病室で男と抱き合ってた。」
「俺は、アイツの病状を調べろと言ったんだ。病室を覗けとは言っていないぞ。」
「あの子が病室で何しようと、俺の知ったこっちゃない。」
「だったら、何故?」
「お前に頼まれて、カルテを見た帰り、あの子の状態を確かめようと、夜中に病室の前に行ったんだ。実際に顔を見ないと、状態が分からんからさ。そうしたら、あの子が男といちゃついていたのを、ドア越しから聞こえたんだ。困ったよ。抱き合っているだけで済んだから、良かったけどね。結局、病室には入れずじまいさ。まー、それだけ回復しているということだ。」
ジョーは、カルテのコピーをニックに渡した。
「思ったより、早く良くなっているな。」
ニックは、カルテのコピーを見た。
「父親として、気になるのか。」
ジョーが言った。
「まあな。俺が、2度も助けた子だからな。」
ニックは鼻を触った。
ジョーは、ニックがコリンを子供の様に見ていると誤解していた。
ニックにとって、それが都合が良かった。
ジョーは、森に隠していたスズキ GSX1100S カタナに乗って、去っていった。
男が小道から道路に出て数時間後、ブライアンが愛車に乗ってやって来た。
ベンツS HYBRIDが、トレーラハウスの前に到着するなり、ニックが出てきた。
「こんな所に来て、FBIに睨まれたらどうする。」
「構わんさ。FBIには、ニックにコリンを助けた礼を、言いに来たと事前に言ってある。17年ぶりだな。」
「そうだな。俺はこれから、FBIの事情聴取を受けるから、あんまり時間が無いぞ。」
「じゃ、手短に行くぞ。どうして、私が警察の事情聴取を受けた時、何も言わなかったんだ?」
「当たり前だろ。17年前の事を覚えているとは思っていなかった。例え、覚えても、声を掛ける訳にはいかない。もしも、あの件が他の刑事にバレたら、俺のクビが飛んだんだぞ。」
「私が忘れる?それは無い。それなら、どうして俺に、こっそりと連絡してこなかった。あの時の様に。秘密結社に入っていたから、それが出来なかったのか。」
「お前も疑うのか。俺はそんな大層な組織には入っていないよ。外見を見ろよ。白髪で皺くちゃの刑事が入った所で、邪魔になるだけだぞ。」
ニックはしらを切った。
「当たり前だ。お前には銃の腕前があるし、それに親友に大きな隠し事をしているからな。」
「何だ?」
「とぼけるな。17年前、お前がジュリアンと、金持ちの家に襲撃した話だよ。お前が金持ちを脅して、コリンから手を引かせた。その時、裏の隠し部屋にいたカメラマンを脅して、残りのネガと写真を取り上げたと、お前は俺に言った。それを、ジュリアンには隠していたじゃないか。昨日、ジュリアンに会った時に話したら、彼は全く知らなかったぞ。」
「古い話を持ち出して、何が言いたいんだ。」
「金持ちを脅した時に、寝室にいたのは、お前とジュリアンだけじゃなかったという事だ。もう一人協力者がいた筈だ。この際、それが誰かは関係ない。お前は、親友にも大事な話を隠す。だからきっと、秘密結社の事も隠しているだろう。」
ニックは、フッと笑った。
「ジュリアンに隠し事がある位で、疑われちゃ困るな。おっと、時間だ。失礼するよ。よかったら、森の中でも、トレーラーハウスの中でも調べろ。俺の潔白が分かるさ。鍵は台所に置いてある。閉めたら、ポストに入れてくれ。」
ニックは、ブライアンに別れを告げると、中古車に乗り、その場を跡にした。
トレーラーハウスの中から、ロボが「ワン!ワン!」と吠えた。
「お言葉に甘えるぞ。」
ブライアンはドアを開けると、ロボの頭を思いっきり撫でると、中に入った。
その日の昼過ぎ。
何も収穫が得られなかったブライアンは、病院へ行き、イサオとコリンを見舞った。
イサオはリハビリの休憩中で、コリンの病室にいた。
この日は、コリンに血を提供したサラの女友達も見舞いに来ていた。
先日見舞った時よりも、花篭が増えており、病室は賑やかであった。
「デイビットは?」
ブライアンが病室を見渡した。
「仕事があって、今日は来るのが午後になるんだ。」
コリンが答えた。
30分程で、ブライアンは病室を出て、同じ階にある小さなカフェの前を通った。
デイビットが、不機嫌な顔で座っていた。
「どうした?病室へ行かないのか?」
「いや。あの女フォトグラファーが退室してから行く。」
「そういえば、写真を沢山撮っていたな。サラの友達で、献血をしてくれた人だろ。」
「ああ。だが、あの女の目が、気に食わん。コリンに惹かれている目だ。」
「馬鹿を言うなよ。コリンは、顔にギブスをしているんだぞ。病室に入らないで、どうして女の目が分かる。」
「あの女には、先週1回病室で会っている。その時に、俺は分ったんだ。困った事に、コリンは人を惹き付ける何かを持っている。ここの医師や看護師だってそうだ。皆、診察の時間になると、目を輝かせるし、用も無いのに、コリンの様子を頻繁に見に来る。」
「気にし過ぎだぞ。お前、疲れているんだ。」
ブライアンは、デイビットの前に座り、今朝ニックと会ったことを話した。
「ニックには、沢山の秘密があるな。それにしても、いくら調べても証拠が出ないか。」
2人は暫く考え込んでいた。
遠くの方から、警備の警官の声がした。
「ビリー、帰るのか?」
その名前に、2人は反応した。
ビリー・テンニースは、コリンを助けた刑事の一人であった。
「先客がいるみたいだからね。来週辺りに、又来るよ。」
ビリーは、カフェの近くに立ち止まっていた。
「花は、俺が預かっておこうか。」
警備の警官が言った。
「有難う。頼むよ。」と、ビリーは薔薇の花束を警官に渡した。
ビリーは、ブライアンとデイビットに気付かずに、その場を去った。
「ビリーか。俺が、ニックのトレーラーハウスへ初めて訪れた時、ペットシッターをしていたのが、彼だった。」
「そうなのか。あの刑事、コリンが誘拐された場所で、呪いをしていたそうだ。」
デイビットは、コリンが目撃した、ビリーの呪いを説明した。
「手の平に『勝つ』と書いて飲み込むという、忍者が行う呪いをしていたのか。気になる。よし、調べてくる。そこから、何が出てくるかもな。」
ブライアンは席を立ち、ビリーの後を追った。