翌日、明け方近くまでデイビットは、ブライアンと酒を飲み交わしていた。
気持ちがリフレッシュできた。
コリンのアパートに戻る前に、病院へ寄った。
コリンはすやすやと眠っていた。
ギブスで顔が覆われているものの、コリンの寝顔は、デイビットにとってたまらなく愛おしかった。
眺めているだけで、頬が緩んだ。
こっそりと洗濯物を持って、デイビットは病室を出ようとした。
シャツが引っ張られた。
「デイビット。もう行っちゃうの?」
コリンが寂しそうに言うと、デイビットの手を握った。
柔らかい手の感触が、コリンはとても好きなのである。
『昨夜のゴツゴツした手の感触も良いけど、やっぱりデイビットの手が一番だ。』
「起こして済まん。起床時間まで、まだ時間がある。もう一寝入りしろよ。時間までには戻る。今日は、良いニュースがあるぞ。」
「楽しみにしているよ。俺も話したいことがあるんだ。」
朝になり、デイビットから話を聞いたコリンは、興奮を抑えることが出来なかった。
午前中のリハビリを終えて見舞いに来たイサオに、コリンは聞いた。
「昨夜、俺の見舞いに来てくれたでしょう。」
「そうなんだ。昨日は、気になってね。寝てるところ悪かった。」
「ううん。気にしないでよ。」
コリンは、イサオが兄の様に自分の事を心配してくれていたと、この時は思った。
別の人間が見舞いに来て、その者の気配を感じたイサオは、病室近くまで追ったが、逃げられてしまった、という事実を知る由もなかった。
日が落ちた。
ブライアンの知り合いのFBI捜査官が、ブライアンの宿である高級ホテルを訪れた。
デイビットも同席していた。
病院で、デイビットに会っていたのと、ブライアンの友人と聞かされていたので、FBI捜査官は気兼ねなく、極秘の情報を2人に教えた。
「遅くなって済まない。聞き込みに回されて、なかなか時間が取れなかった。」
FBI捜査官は、ノートパソコンを取り出し、起動させた。
「今朝、防犯カメラの映像を貰った。昨日、仲間が言っていた通り、秘密結社のメンバーを殺害したと思われる男が写っていた。これを見てくれ。」
ノートパソコンの画面は、病院の防犯カメラの映像が映し出された。
画面右下に、時刻が表示されていた。
およそ2時間前、一人のアジア系の男が、トイレに入った所が写っていた。
ピントがぶれているが、20代前半で、パーマをかけた茶色の髪に、こげ茶色の瞳に銀縁のメガネを掛けていた。
『イサオを撃った男とは別人だったか。それにしても、もの凄く眼力のある若僧だ。』
ブライアンは思った。
男は猫背で、おおよそ160センチ位、痩せ型だが顔はふっくらとしていた。
見舞い客を装っていて、灰色のTシャツにジーンズ、右手にはカーキー色の布袋を持っていた。
『殺しをするのに、右手に大きな荷物を持っている。恐らく、左利きなのだろう。』
他にも男性達がトイレに出入りしたが、男は出てこなかった。
「おかしい。」
「ブライアン、お前もそう思うか。見てみろ。」
犯行30分前、清掃員を装った秘密結社の男が、清掃の道具を持って現れた。
『立ち入り禁止』の看板をトイレの前に置いた。
数分後、2名の男性が出てきた。
「若い男が出てこないな。」
その3分後に、男4名が男子トイレに入った。
「こいつらも、シカゴの秘密結社の男だ。」
「その通りだ。最後の打ち合わせと、逃走ルートの確認を行っていると思われる。」
5分も経たない内に、秘密結社の男達がトイレから出た。
犯行の10分前、映像が消えた。
「若い男は、遂に出てこなかったな。」
「これを見てくれ。」
FBI捜査官は、マウスをいじった。
画面が進み、別角度の防犯カメラの映像が起動した。
画面の時刻を見ると、犯行から20分後であった。
トイレの辺りは警察と野次馬で、ごった返していた。
一向に、若い男は出てこない。
映像の時刻は、更に進んだ。
翌日の5:00になった。
ようやく、若い男が出てきた。
服が変り、配膳係りのシャツを着ていた。
右手には、行きと同じく布袋を持っていた。
「ずっと、トイレにいたのか。天井の排気口に隠れていたな。」
ブライアンが言った。
「手馴れた感じだ。プロだな。長いキャリアがありそうだ。」
デイビットの意見に、皆は賛同した。
「警官が現場検証の為、長時間トイレにいたが、全く人の気配に気が付かなかったそうだ。日付も変り、一段落ついていたし、配膳係りのシャツを着ていたから、病院関係者も男には何ら疑問を抱かなかった。」
「男はその後どうした?」
「これだ。」
画面は、地下駐車場に変った。
先程の男が、布袋を肩に掛け、ヘルメットを被ると、カワサキW650に乗り、病院を出る場面が映し出された。
「今朝からFBI捜査官が動員して、バイクの男を洗い出しているが、まだ見付からない。ナンバープレートは、偽造された物だし、このバイクの所有者が多くてな。捜査は最初から壁にぶつかっている。それと、もう一つ上から報告があった。」
「何だ。」
「トイレの射殺体と、非常階段の射殺体を調べた所、凶器の銃はH&K USPの同じ型であるが、弾痕が違っていた。つまり、別々のものであるという事だ。」
「シカゴの秘密結社を殺した犯人は2人いて、同じ型の銃を使用したということか。」
「そうなんだ。トイレと非常階段の犯人が同一人物であると、警察に錯覚させる為の工作だと思われる。今、警察に非常階段の目撃者を探させているが、どうしても見付からない。防犯カメラも壊されていたし、非常階段の件は、お手上げ状態なんだ。だから、我々はトイレの男を捜すことに、全力を挙げている。」
報告が終わったのは夜遅かったものの、デイビットは病室に戻った。
コリンが知らせを、首を長くして待っていたからだ。
映像の話をし、プリントしたものを見せた。
「この男か。・・・。この男、前に話したジョーに似ている。」
意外なコリンの言葉に、デイビットはびっくりした。
「でも、17年前に会ったジョーは20代前半。今は、30代後半になっている。この映像の男は、30代前半の若者だ。他人の空似だね。ジョーは黒目と黒髪だし、こんなにほっぺがふくよかじゃなかった。」
次の日の午前中から、コリンはFBIの事情聴取を受け始めた。
デイビットの同席を、FBI捜査官にお願いした。
当初は捜査官は、デイビットの同席を躊躇った。
「彼には、全て話してあります。」
コリンの一言で、FBI捜査官は同席を許した。
コリンは、はっきりとした口調で、偽のFBIの捜査官に騙されてエレベーターに乗せられ、そこで暴行を受けた事、気絶させられてからアジトへ連れて行かれた事を話した。
「それから、3箇所アジトを点々としていました。最後の家に着くと、俺は地下の浴槽に投げ込まれました。地下は広く、防音の処置が施されていたので、外の音は全く聞こえませんでした。見張りは一人で、2時間おきに、交代していました。男達の話から、外にも一人見張りがいたようです。」
的確なコリンの話に、FBI捜査官は感心しながら、メモを取っていた。
「流石は元裏社会の人間だ。状況をしっかりと把握している。」
一人のFBI捜査官が言った。
自分の事を知っていると分かりきっているのに、改めて言われ、コリンはドキッとした。
デイビットの同席に渋い顔をした理由が、分かった。
FBIは、デイビットがコリンが元裏社会の人間だった過去を知らないと、思っていたからだ。
デイビットは全てを知っていると分かると、FBIは突っ込んだ話をし出した。
「彼も知っての通り、2年前に君は日本で殺人罪で逮捕された。君を逮捕した女性の捜査官から、色々と話を聞いたよ。しっかりとして、周りに愛されている若者だと言っていた。その通りだね。」
別の捜査官が語った。
コリンに、当時の嫌な思い出が蘇った。
『周りに愛されているなんて、嫌味を言いやがって。確かに、周りの尽力がなければ、俺は今も刑務所に入っていた。それ程、俺を殺人罪で逮捕しながら、無罪放免にしたことが悔しかったんだな。きっと他にも、俺の悪口を言っている。今回は俺が被害者だったから、良かった。あの女の事だ、俺が再び事件を起こしたら、真っ先に飛んできて、喜んで逮捕するだろう。』
それから、1週間にも渡り、事情聴取が続いていた。
この日の朝、何時もの様にデイビットは病室に入った。
ギブスの穴から、コリンの目の下に薄い隈が出来ているのを、デイビットは見逃さなかった。
「昨日は寝ていないのか。」
「ちょっと、眠りが浅かったんだ。」
コリンは微笑んだ。
この日の事情聴取が終わった。
デイビットとコリンは二人っきりになった。
「デイビットお願いがあるんだ。」
「何だい?」
「今夜、ここに泊まってくれないか。」
「誘拐された時の夢を見るのか?」
「そうなんだ。事情聴取が始まってから、悪夢を見る様になって、目を覚ますことが何回もあるんだ。何時も君には負担をかけてしまう。こんなに、俺は弱くなってしまったなんて、自分でも情けなくなる。」
コリンは涙ぐんだ。
「何を言っているんだ。命の危険に晒されたんだぞ。悪夢にうなされるのは当然だ。今夜は、コリンの側にいる。安心しろ。」
デイビットはテッシュで、コリンの涙を拭いた。
デイビットは、病院と警察の許可を貰い、予備のベットを病室に入れて、そこで寝た。
案の定、夜中になり、コリンは何度か目を覚まし、1回汗をかいて飛び起きてしまった。
デイビットはベットから起きて、コリンを抱きしめた。
「心配しなくていいぞ。俺が側にいる。」
コリンの体は震えていたが、10分程時間が経ち、震えは止まった。
「君の匂いをかいだら、落ち着いてきたよ。いつも良い香りがするね。」
コリンは、デイビットの胸元をかいだ。
デイビットは、フランス製の男性用香水を毎日付けていた。
コリンはこの香りが大好きだ。
毎日の様にかいでも、飽きることが無い。
デイビットの体を、ぎゅっと抱きしめた。
コリンの体から、花の香りが漂ってきた。
一瞬、デイビットはこの香りに酔いそうになったものの、ぐっと堪え、コリンの汗をタオルで丁寧に拭いた。
「少し、添い寝をしてやる。」
そう言うと、デイビットはコリンのベットに上がった。
2人は小声で会話をした。
「カレンダーを見たら、6月になっていた。イサオが撃たれてから、もう4ヶ月になるのか。俺が救出されてから、2週間になるんだね。」
「月日が経つのは早いな。イサオのリハビリは順調に進んでいるし、コリンの状態も快復の方向に進んでいる。辛い時期を乗り越えつつあるな。」
デイビットは厳しい表情になり、人差し指を口に当てた。
「誰かいるの?」
コリンがデイビットの耳元で囁いた。
「ブーツの音が聞こえた。恐らく、警備の警官が歩いているんだ。巡回の時間じゃないから、一瞬緊張したが、大丈夫の様だ。」
デイビットは小声で答えた。
「音で思い出した。ニックは、足音で誰かが分かるし、タイヤの音で車の種類も当てていた。」
「そうなのか?!」
「ニックは、生まれつき耳が良いからと言っていた。俺は退院したら、聴力を鍛えよう。隼さんから聞いた小音聞き(さおときき)の修行を始める。そうすれば、この前の様な危険を察することが出来るだろう。」
「コリン、退院しても、リハビリや治療が残っている。焦ることはない。今暫くは、療養に専念しろ。俺がこうして守ってやるからな。」
2人は抱き合った。
この時、2人は気付いていなかった。
コリンの病室の前を通った男が、警官では無かった事を。