コリンはアパートに戻り、猛と隼の喧嘩の次第を、デイビットに打ち明けた。
「そんな事があったのか。間に入って、大変だったな。」
デイビットはコリンを労わると、抱きしめた。
デイビットの心音を聞いて、コリンは気持ちが楽になった。
コリンのアパートの窓からは、明かりがカーテン越しに外へ漏れていた。
アパートの脇に止まっている車から、秘密結社の男2人が見ていた。
その内の一人は、元刑事で薬剤師のシェインであった。
男がシェインに言った。
「今頃、シャワータイムか。あいつ、何時も誰かといやがる。一人の時は、トイレに行く位だ。どうする。」
「トイレで待つ訳にはいかない。他の人の出入りを、止められないからな。こうなったら、あの手で行くしかない。」
シェインは男に、練っていた計画を告げた。
「それならいい。あいつを連れ出すことが出来るぞ。」
それから2日後の夜、ささやかに隼のお別れの食事会が行われることになった。
当初は、猛は出席しないと言っていたが、イサオがこの日一時帰宅を許されるとサラから聞かされ、不承不承参加を決めた。
イサオはまだ歩行が覚束ないので、車椅子に乗って病院を出た。
コリンとデイビットも駆けつけた。
イサオの左目には、まだ眼帯がつけられたままであったが、家に着くと柴犬のタローが嬉しさを抑えきれずに、熱い出迎をした。
「事件前と全然変わっていない。やっぱり、我が家が一番落ち着くな。」
イサオは背伸びをした。
「ここまで回復して、とても嬉しいわ。」
サラが涙を滲ませながら言った。
「よく戻ってきた。私も喜ばしく思う。」
猛が台所から出て、息子を迎えた。
「親父には、感謝しきれないよ。俺の命を守ってくれたばかりか、家のことまでしてくれる。有難う。」
イサオは車椅子から、杖を付いて立ち上がり、父親の猛の手を熱く握った。
イサオ親子が手を握っている側で、アメリカン・バーミーズのティアラがイサオの足下へやって来て、顔を擦り付けた。
パーティの準備に入った。
糖尿病の猛と入院中の夫に配慮して、サラは野菜中心の料理を作り、猛も手伝った。
デイビットもテーブルセッティングを手助けしたり、お土産に持ってきた日本酒を冷やしたりした。
タローとティアラの餌やりをしていたコリンは、リビングにいるイサオが窓をじっと見ていたので、側に行った。
「何を見ているの?」
「庭を見ていたんだ。普段と変っていないのに、輝いて見えるんだ。」
「久しぶりの我が家だものね。」
コリンはイサオと似た体験をしていたので、彼の気持ちがとても分かっていた。
コリンが29歳で裏社会から足を抜け出し、両親の元へ訪れた時、周りの風景が新鮮に見えたのだ。
しかし、イサオが庭の奥に人の気配を感じていた事には、コリンは気付かなかった。
『やはり来たんだな。』
イサオは心の中で呟いた。
=====
外で、男が物陰に隠れながら、イサオの様子を見ていた。
順調に回復を見せている姿に安心した。
イサオは、事件当夜の記憶は飛んでしまったと聞いている。
それで良いと男は思った。
その前の記憶、自分がイサオに打ち明けた話しは、覚えている筈だ。
しかし、イサオはその事を誰にも話していない。
男は心から感謝した。
男は、イサオの視線を感じた。
「もしかして、ばれたか?」
物陰に深く隠れ、精神的な動揺を抑える為に、摩利支天の真言を心の中で、何度も唱えた。
「オン・アニチ・マリシエイ・ソワカ」
「どうか俺の存在に、気付かないでいて下さい。全てが終わるまで、もう暫く時間を下さい。」
男はイサオに願った。
=====
時間になり、隼がプレゼントを持ってイサオ邸を訪問し、お別れ会が始まった。
コリンとデイビットがいたせいか、終始和やかなムードでパーティは進んでいた。
隼のプレゼントは、日本製の高級シャツだった。
サイズもぴったりで、イサオは大喜びした。
イサオからは、事件の話をあえて出さなかった。
何も知らされていないサラも、なるべく明るい話題を持ち出した。
「聴力を鍛える方法が、あるのですか。」
コリンは何気なく、隼に尋ねた。
「あるよ。私達は、静かな夜に、砥石に針を数本落とすんだ。『小音聞き(さおときき)』という修行だ。砥石から段々と離れ、砥石に何本針が落ちたかを聞き分けるんだ。そうした地道な修行をすれば、聴力もおのずと付く。」
コリンは興味深けに聞いた。
「これは、大分前の話です。猛さんを守ろうとして、後ろにいた俺が銃を取り出しそうとした時、後ろを振り向きもせずに、『止めなさい。』と制したことがあったのです。その時、音だけで俺の動きを察知したと後から知って、成る程と思いました。俺も、耳を鍛えれば、何かと役に立つかと思ったんです。」
猛の不機嫌そうな顔を見て、コリンは『しまった。』と思った。
「そんなの必要ない。」
猛が言った。
周りがしんとした。
コリンが慌てて言った。
「この物騒な世の中ですから、護身の為にも五感を鍛えた方が良いのかと思ったのですが、やらない方がいいですね。」
「コリン、鍛えた方がいい。今回の事で思い知ったよ。五感を研ぎ澄ますんだ。それで、世の中を見渡すんだ。」
イサオが口を開いた。
「親父、もうオープンに話そう。世界中に俺達の事が知られたんだ。こうなったら、キチンと正しく伝える事が、最善の道だと思う。」
イサオは、父・猛に向かって言った。
「・・・。そうだな。」
猛は、渋々次男の意見に同意した。
それから、話題は忍術になり、場は盛り上がっていった。
猛は、皆の話を笑顔で聞いていた。
だが、その内心は、消え行く筈の青戸流の忍術が、過去の自分の決断によって、大きく進路を変えていくことに、戸惑いを覚えていた。
同じ時刻。
ブライアン・トンプソンは、イサオの知人に聞き込みをしていた。
過去に刑務所に入った男であったが、すっかり更生し、ヘルパーとして真面目に働いていた。
この知人もシロであった。
数日前から、ブライアンは、勤務先の施設の関係者、ボランティア・グループのメンバー、知人、親しい友人に聞き込みに回っていた。
イサオを撃った可能性のある人間は、一人も見付ける事が出来なかった。
ブライアンは、こうなったら、長年の友人であるイサオ自身を調べないといけないなと、思う様になった。
辛い決断であった。
ブライアンのiPhoneが鳴った。
知り合いの情報屋の男からであった。
「ブライアンさん、大変な情報が入りました。青戸勲さんが狙われています。犯人は、秘密結社と手を切ったロシアン・マフィアの生き残りです。その男が、別の殺し屋を雇ったと聞きました。」
「私は?」
「まだ私の耳には入って来ませんが、恐らく狙っているでしょう。用心して下さい。」
事態は回転し始めた。