ブライアンは、ニックの行方を捜したが、見付からなかった。
ルドルフや薬剤師のシェインの周囲を見たが、ニックが訪れた形跡は無かった。
そこで、ブライアンは、情報屋のジュリアンがニックについて何か知っていると思い、調べる事にした。
ジュリアンが、イサオの犯行現場に行ったり、コリンに連絡している様子から見て、親友のニックの事は何も知らないとの結論付けた。
ニックが秘密結社と深く関わりがあると、デイビットへ携帯で知らせていた。
「信じられんな。」
そう言うと、デイビットは、アトランタにあるアルコール依存症を治療する施設に、先月から入っている男が、イサオの撃たれた現場を見たと話していた事、その証言を聞く為に、ジュリアンがその男と面会したが、妄想状態が酷く、手掛かりを得る事は出来なかったとの報告を受けた事を伝えた。
「その男は見たのか?」
「現場近くに住んでいて、目撃したらしいが、ジュリアンによれば、只の与太話だったそうだ。元々、虚言癖がある男だそうだ。」
「私はアトランタへ飛びたいが、ニックの行方を見付ける事が先決だ。待てよ。先程ジュリアンは、現場近くのアパートを訪ねていた。」
「もう一人、目撃者がいるという事か?」
「分からん。兎に角、そこへ私も訪ねてみる。」
1時間過ぎた頃に、ブライアンがコリンのアパートのドアを叩いた。
「どうしたの急に?携帯壊れたの?」
コリンが驚きの顔をして、ドアを開けた。
「そうじゃないんだ!直接顔を合わせて、話したかったんだ!」
冷静沈着なブライアンには、珍しく興奮して、コリンのアパートに入った。
部屋で、洗濯物を畳んでいたデイビットが迎えた。
「現場で何か釣ったか。」
「大きなものを引っ掛けたぞ!あの男は、とんでもないものを目撃していたんだ!」
「アルコール依存症で、虚言癖のある男性でしょう。」
コリンは椅子をすすめた。
ブライアンは、ドカッと勢いよく座った。
「さっき、ジュリアンが訪ねたアパートだが、何とそこにあの男が住んでいたんだ。現在は母親だけ住んでいる。その男は、母親にも話していたんだ。イサオが撃たれた夜の事を。」
「男は、事件を目撃したのか?」
「そうなんだ、コリン。」
コリンとデイビットの目の色が変った。
「どうして、ジュリアンは一言も俺に教えてくれなかったんだ?」
「信じられない話だからだ。ジュリアンも母親から話を聞いて、同じ気持ちになったのだろう。それと、親友が関わっているからな。」
デイビットは、ブライアンにコーヒーを出した。
ブライアンは喉が渇いているらしく、一気に飲み干した。
「事件当夜、酒を買った帰り道に、男は犯行現場近くを通りかかった。具合が悪くなり、裏路地に長いこと座り込んでいた。人の声がするから、何気なく聞いたそうだ。」
「何て?」
「『やはり、ここにいたのか。』と、『やっぱり来たんだな。』とね。」
シンディ・チャーは、人の話し声は聞いたと言ってたものの、会話の内容までは聞き取れなかった。
まさか、話の内容まで男が聞いていたとは思いもしなかった。
やはり、イサオと犯人は知り合いだったようだ。
残念ながら、イサオは事件の記憶を失くしている。
「それから、男が声の方を見ると、背を向けた東洋人、つまりイサオがいた。その前に、野球帽を深く被った男性が立っていたそうだ。顔は、暗くて見えなかったと言っていた。」
「あれ?イサオを助けた男といたの?撃った犯人は?」
「それがな、コリン、聞いてくれ。野球帽の男が、会話を交わした直後に、小型拳銃でイサオを撃ったんだ。」
「えっ、そんな?!」
コリンとデイビットは、驚愕した。
助けた男が犯人なのかと。
「野球帽の男は、撃って直ぐ、イサオの頭がアスファルトの地面ににぶつからないように左手で支えると、右手で小型拳銃を素早く仕舞い、首に巻いていたスカーフを取って、イサオの頭に巻いて、道に横たわらせたんだ。」
「はあっ?」
コリンは、益々混乱した。
「それから直ぐに、カップルが来て、救急車を呼んだり、イサオを介抱したりした。後は君達の知っての通りだ。」
「男の虚言じゃないか?撃って直ぐに、救命処置をするなんて、俺の理解の範囲を超えているよ。」
デイビットが言った。
「私も信用できないと初めは思った。しかし、そうじゃない気がしたのだ。イサオが撃たれた後に、男は急いでアパートに帰り、母親に打ち明けた。勿論、母親は信じなかった。すると、今度は警察に行った。男と会ったのはニックなんだ。」
「ニックが?」
「ニックは話を聞くと、母親と面会している。『息子さんがおかしな証言をするので、困る。このままでは、警察は逮捕しなくてはならなくなる。この際、息子さんを治療した方が良いですよ。』と言ってきて、アトランタに貧困家庭を対象にしたアルコール依存症を治療する施設があると紹介した。母親は了承し、息子を説得して、そこの施設に入れさせた。」
「ニックは、目撃者を遠ざけたのか。どういうことだ?ニックは秘密結社の人間だろう。その彼が、どうしてイサオを撃った男を守るのか。」
デイビットも混乱している様子であった。
「私が思っていた方向とは、違っていた。ニックは、秘密結社のメンバーである一方で、秘密結社を混乱に陥れている男とも繋がっているのだと見ている。やはり、彼は悪人を憎んでいた。」
「ジュリアンは、それに関わっているの?」
「関わっていない。彼も、男と母親から話を聞いて驚いている一人だ。親友のニックが大きく関与しているから、きちんと調査してから、コリンに報告したかったのだろう。」
「イサオを撃って、助けるなんて・・・。」
コリンは頭を抱えた。
「コリン、私も考えた。これは推測だが、野球帽の男は、イサオの動きを封じる目的で撃ったのではと考えている。イサオには、動いては困る事があったんだ。」
「秘密結社のことかな?」
「そうかも知れん。野球帽の男は、秘密結社を破滅させようとしていた。そこに、イサオが出てきた。彼がいると、野球帽の男は企みが崩れると思った。だから、撃ったんだ。」
「イサオが動くと邪魔?そうすると、イサオは、ロシアン・マフィアの残党が、秘密結社にイサオとブライアン殺しを依頼したのを知っていた?」
「そこまでは分からない。もうそうなら、私に連絡する筈だよ。イサオに聞いてみる。そこまで、記憶が飛んでいなければ良いのだが。」
「何故、頭を撃ったのかな。奇跡的に助かったから良かったものの。殺意があったとしか思えないよ。」
「いや。撃った男は、それも計算に入れていた。頭を撃てば、警察や我々も、イサオを殺害しようとしていたと見る。秘密結社も混乱した。それで、連中の動きは止まった。」
「つまり、イサオを撃った男、助けた男、そして、秘密結社を混乱させた男は、同一人物?」
「確証は得ていないが、その可能性が高い。」
「じゃあ、奇跡的に弾が左目の脇から脳と血管をかすめたのは・・・。」
「奇跡じゃない。計算通りだ。」
コリンの体から、一気に体温が下がった。
「ニック・・・。俺は彼と酒を呑んだんだ。とても優しい男だと思っていたのに。こんな冷酷な男と手を組むなんて、彼が恐ろしくなったよ・・・。」
コリン顔が青白くなり、全身が震えた。
デイビットが、コリンに上着を掛けてくれた。
「呑んだって?何時の話だ?」
「イサオ達が、襲撃された夜だ。俺は、一人になりたくて、たまたたアーサーさんのバーに行き、酒を呑んでいたんだ。その時、ニックが偶然にやって来た。それで、話をしたんだ。気が付いたら、朝まで呑んでしまった。」
「もう一人の親友のアーサーか。彼のバーにも行ったが、ニックはこの所来ていない。」
デイビットが、コリンと青戸隼と、アーサーのバーに呑みに行った夜の話をした。
イサオの話題をしたら、アーサーの様子がおかしかった事、古くからの客なのに、イサオを知らないと言っていた事を語った。
「アーサーか。何かあるな。」
ブライアンは考えた。
「イサオが記憶を取り戻してくれれば、こちらが大いに助かるがな。コリン、もう休め。後日、連絡する。」
ブライアンは、アパートを出た。
「体が冷えている。熱いシャワーを浴びてきたらどうだ。温かい紅茶を入れるよ。」
デイビットが優しく言った。
「そうするね。」
素直にコリンは、シャワーを浴びにいった。
厚手のトレーナーを着て、温かいノンカフェインの紅茶を飲んだせいか、コリンは体温を取り戻した。
「裏社会に居た頃は、裏表のある連中と頻繁に接していた。堅気になってから、ニックの事で、こんなにショックを受けてしまうなんて、随分俺も弱くなった。」
コリンが弱音を吐いた。
「弱くなったんじゃない。コリンが真っ当な人間になった証さ。」
「だと良いんだけどね。ニックは万華鏡みたいな男だな。邪悪な気配を発したと思えば、優しい性格を見せる。だが実は、イサオを狙っている秘密結社の一員。かと思うと、今度はイサオを撃って秘密結社を混乱させた男と繋がっている。彼と接触する度、印象が変るよ。」
コリンの言葉に、デイビットは同感であった。
ブライアンは、宿泊している高級ホテルの部屋に帰り、ノートパソコンを開き、メールをチェックした。
FBIの友人から1件のメールが入っていた。
メールを開くと、FBIがニューヨークで逮捕した、警官で秘密結社の一員から聞き出した話が綴られていた。
ニューヨークの秘密結社の解明は着々と進んでいた。
そして、マイアミから来た“老人”という仇名の男のモンタージュが完成し、現在FBIはその男の行方を追っているとの報告であった。
ブライアンは、添付されたファイルを開き、モンタージュ写真を見た。
写真の男は、日焼けした顔に大きなサングラスをかけ、ふくよかな頬、白髪交じりの黒髪、長身で、手足は細長いが、腹はふっくらとしていた。
誰も、“老人”が化けた姿とは気付かなかった。