前回 、 目次 、 登場人物

翌日、コリンとデイビットが、病院に行くと、珍しく隼が病室にいた。


「二人共、昨晩は楽しかったよ。」


病室では、猛が苦い顔をしていた。

コリンは、隼が警視庁を辞める事を父親に告げたことを悟った。


昨日よりも重苦しい空気が流れていた。


「じゃあ、私は先に失礼するよ。サラさん、悪いが今日は知人と会う予定になっています。夕食は、この次に。」


隼が病室を出た。


「君は、聞いていたのか?隼の事を。」


猛は、穏やかにコリンに問いかけをした。


「昨夜、聞きました。」


「私が、一番最後だったようだな。」

猛が言った。


「警視庁を辞めたと聞いたのは、さっきなのだよ。」


「兄貴は、親父の体調を心配していたんだ。それで、言い出せなかったんじゃないか。」

イサオが、又兄を庇った。


「お前には、とっくの前に打ち明けていたそうだな。何故、間近にいる私や嫁さんにはその時には話さなかったんだ。嫁さんが実家に帰ったのは、私の映像だけじゃなく、事前に相談もせずに辞職したのが、大きな原因だろう。」


「身近だからこそ、話せなかったんだよ。」


猛は黙ってしまった。

怒りや悲しみ、色々と湧き起る感情を、必死に堪えていた。


「コリン、昨夜は兄さんから何か教わったかい?」

イサオは、コリンに明るい口調で、聞いた。


「ダーツの投げ方を教わったよ。」


コリンは、両手を膝の上に置いたままだった。

今、手裏剣の打ち方を見せたら、猛が怒ると思ったからだ。


「遠慮しなくていいよ。僕に、投げ方を見せてごらん。」


コリンは、3本指でダーツを投げる仕草をした。


サラはハッとした。


猛の目付きも鋭くなった。

デイビットは、襲撃犯を退治した時を思い出した。


「今更、いいじゃないか。インターネットで世界中に、親父の姿が流れているんだ。秘密じゃ無くなったんだ。それに、コリンは家族同然だ。手裏剣の打ち方を教わった位で、目くじらを立てるなよ。」


イサオは笑いながら、父を諌めた。


「まだまだ、腕の使い方が弱いな。」


イサオが病床から、コリンに腕の振るい方を教えた。


猛はそっと病室を出た。

コリンとサラは、追いかけようとしたが、イサオが制した。


「そっとしてあげよう。親父は時代の変化に、戸惑っているだけだから。」


再び、イサオはコリンに手裏剣の打ち方を教えた。


去り際、サラがデイビットにちらっと洩らした。

「イサオが、人前で手裏剣を打つ仕草を見るのは初めてよ。」


イサオは、サラには全てを見せていたのだと、デイビットはその時思った。



夕方、コリンがカフェテリアの前を通った。


猛がいた。


コリンが、恐る恐る声を掛けた。


「ずっと、こちらにいらしたのですか?」


「こんな時間になってしまったか。考え事をしてしまってね。どうだい、少し。」


コリンは、イサオの前の席に座った。


「君は、私が写っているフィルムを、かなり前から見ていたそうだね。」


コリンは「はい。」と肯いた。


「イサオが6歳の時に、山で転落し、瀕死の重傷を負った事は知っているね。」


「勿論、知っています。」


「その時、祖父が勲と隼に、忍術を教えていた。私の父は、『家の者以外に忍術は見られてはならない。』という家訓を重んじたばかりに、病院に詳しく状況を話せず、窮地に立った。勲が怪我をしたのは、父の監督不行き届きなのは分かっていたが、私は父を守ることを選択した。」


猛は、関係各所を回り、事態の収拾に追われて、勲の見舞いに殆ど行けず、今となっては後悔していると話した。


「当時の警察署長は、伊賀の郷土史を調査していた所だった。その過程で、私が忍術を学んでいた事を知った。署長に『忍術を記録させてくれ。』と頼まれれば、部下の私は断れなかった。署長も、私に気を遣ってくれて、組手の相手を東京から呼び寄せてくれたり、極秘に撮影してくれました。私が身を晒した見返りに、署長が動き、祖父は何も罪には問われる事は無かった。」


コリンは、猛の口から当時の事情を聞かされた。

コリンの推測は当たっていた。


「それが、40年経った今、息子達を苦しめてしまうとは思いもしなかった。YouTubeに映像を流した犯人は、見付かっていないのか。」


「いえ、まだです。どういった人物が全く見当が付かないのです。」


「そうですか。インターネットで世界中の人が情報を共有出来る社会が来るとは、当時は予想も付かなかった。特に、隼には悪いことをしたと思っている。」


「隼さんに、その言葉を伝えればいいじゃありませんか。」


「なかなか、言いづらいのだ。元々、会話がない親子だから。話を聞いてくれて感謝するよ。」


猛は席を立って、サラの待つ家に戻った。

背中が苦悩を物語っていた。


コリンはどうすることも出来ず、見送ることしか出来なかった。



ジュリアンから、コリンに連絡があったのは、その日の夜であった。


「帰ってきた所だよ。無駄足だった。施設に入所していた男の症状は酷くてね。支離滅裂だ。」


「残念だな。その男は、何て言っていたの?」


「それがチンプンカンプンでね。私は、イサオが撃たれた現場をもう一度洗い直すよ。期待を掛けてしまって、申し訳ない。」


ジュリアンは携帯を切った。


コリンは、デイビットに事の顛末を話した。


「変だよ。アトランタまで行ったのに、男の話をちっともしてくれないんだ。」


「余程、男がとんでも無いことを言っていたのだろう。」


2人は悩んだ。


すると、今度はデイビットの携帯が鳴った。

ブライアンからであった。


「アルベルト・ウェルバーが、仲間数名と消えた。恐らく南米に逃亡したらしい。偽造パスポートを作っていた事実が分かったからな。FBIは一歩遅かった。」


「甥のルドルフ・ブラウンも一緒に逃げたのか?」


「彼が、伯父の失踪届けを出したんだ。」


「FBIが張り込んでいたのにか。」


「FBIは警察に命じていた。見張りの警官達は、ウェルバーは夕べから一歩も外に出ていないと言っている。もしやと思い、FBIはその警官達は、秘密結社とは関わりが無かった。ウェルバーも元凄腕の刑事だ。見張りの隙を付いて、出て行くのは容易かったのだろう。」


「甥のルドルフが、昨日の夕方に自宅を訪問したら、リウマチで体が思うように動かせないのに、姿が無く、カバンや服も無くなっている事に気が付いたそうだ。事件性を感じて、警察に届けたと言っている。FBIの見立ては、年配の仲間達が、彼を支えて逃亡した。FBIは、ルドルフに事情聴取したが、シロと判断している。」


「甥は関係ないのか?」


「失踪に関してな。秘密結社の一員の疑いは晴れていない。FBIは彼を見張っている。」


「ルドルフに動きはないのか?」


「まだ無い。往年の名刑事が、秘密結社を作り、金と引き換えに殺人を繰り返し、挙句、年配の仲間達と共に海外逃亡をした。警察は、蜂の巣を突いた騒ぎになっている。」


「薬剤師のシェインはどうだ。」


「それが、シェインが警察に勤めていた時、ルドルフとは違う部署にいて接触が無かった。奴が警察を辞職してからも、何も接点が無い。ルドルフは、違う薬局を使っていた。シェインは、あれから“老人”と連絡しないし、何の動きを見せなくなった。リーダーが失踪して、尻尾を巻いてしまった。」


ブライアンと話を済ますと、デイビットはコリンに秘密結社のリーダーが逃亡した事を告げた。


「そのリーダー、刑事の見本といわれた人だろう。その人が、自分だけ逃げるかな?」


「仲間と一緒だ。」


「現役の刑事の相談相手までする信頼厚い人物が、甥や他の仲間をほっぽり投げて、海外逃亡するかな。それに、ロシアン・マフィアの残党からの依頼はどうなっているんだ。俺はどうも腑に落ちない。」


「残党2人は、一人はパリで捕まり、残りの一人は慣れないアメリカで放浪している。依頼は、破棄されたと見ていいぞ。」


「そうだな。でも、俺の勘では、ウェルバーの逃亡に疑問符が付くんだ。」




ブライアンはデイビットに連絡した後に、ベンツS HYBRIDを走らせ、マイアミ市から外れた場所にある森を目指した。


州道から小道に入り、少し走ると、森の入り口に当たる。

入り口の近くに、1台のキャンピングカーがあった。

ニックの住みかである。


夜ならいるだろうと睨んだ。


しかし、キャンピングカーは真っ暗で、人の気配が無かった。

ブライアンが車の中を覘くと、1匹の犬が寝ていた。


8才のシェパードの雑種で、名前はロボという。

気持ちよさそうに眠る姿が、とても愛くるしかった。


「一体、何処にいるんだ。」


ブライアンは舌打ちをして、又ベンツS HYBRIDに乗り、州道へ出た。

走っていると、1台のリンカーン・コンチネンタルとすれ違った。


ブライアンは、運転手の顔を見ると、暫く走り、Uターンした。


リンカーン・コンチネンタルの運転手は、ジュリアンであった。

デイビットから、情報屋のジュリアンはニックとは親友と聞いている。


『彼は、ニックに会いに来た。』

ブライアンの直感が閃いた。


間を置いて走り、ジュリアンの車を追った。

案の定、リンカーン・コンチネンタルは小道に曲がった。

ブライアンは、ベンツS HYBRIDを数十メートル進め、州道の脇に止めた。


足音を出さずに、それでいて駆け足で、ブライアンは小道へ入っていった。


リンカーン・コンチネンタルは、キャンピングカーの前で止まっていた。

車のライトのみが照らされ、光で目を覚ました犬が、キャンピングカーの中から吠えていた。


ジュリアンの姿は見当たらない。


森の中から、「ニック、いるか~。」とのジュリアンの声が聞こえた。


『夜の森の中にいるのか?!』

流石のブライアンも驚いた。


意を決して、ブライアンは森の中に入った。

声の方角へ歩くと、ほのかな明かりが見えた。


ジュリアンが蛍光灯を持って、歩いていた。

ニックの姿が見えないので、引き返してきた。


ブライアンは、慌てて脇の大木の陰に隠れた。


ジュリアンは森から出ると、キャンピングカーにいるロボへ窓越しに挨拶して、リンカーン・コンチネンタルに乗って、その場を去った。


ブライアンは、それから森の中を少し歩いたものの、何処にもニックがいる痕跡が見当たらず、彼もその場を後にした。


近くのガソリンスタンドへ寄り、店員に話題を切り出した。


「あの森の中に住んでいる人を探しているんだが、何処にいるか知らないか?」


「えっ?あんな変人と何か関わりがあるんですかい?」

店員は、怪訝そうにブライアンを見た。


「いや、私は彼に世話になったんだ。どうしても今、お礼が言いたくて、職場の人に聞いたら、ここだと聞いて来たんだ。彼、何時からあの森に住んでいるのだ?」


「えーっと、16~17年前かな。あの人、何しているんですか?」

店員は、ニックのことは何者か知らなかった。


「刑事だよ。さる事件で、彼に命を救われたんだ。」

ブライアンは虚実を混ぜて、店員にニックの事を話した。


「嘘でしょう?あの気味悪い男が刑事だって?!」

店員は、信じられない表情をした。


「つかぬことを聞くが、彼は何かしたのか?」


「いやね。あの男、うちのスタンドを利用するけど、人を寄せ付けないんだ。他の店員も怖い人だと思っているよ。それに、俺、恐ろしいもの見たんだ。」


「何を?」


「夜中に、森の中を走っているところをさ。何度も見た。真冬でもだよ。このスタンドから、ちらっと見えたんだ。あの白髪だもの、見間違える訳無いよ。」


「たった一人で?」


「そうだよ。たまに2人もあったな。もう1人は暗くてよく見えなかったけど。」


「それは怖いな。俺は退散するよ。」


ブライアンは、店員にチップを弾み、ベンツS HYBRIDに乗って、マイアミ市内へ戻った。

ブライアンはニックの周辺も洗い始めた。


ニックの内面が変ったのは、17年前。


それと同時に、人付き合いを最小限にし、住まいを市内のアパートから、市から離れた森にあるトレーラーハウスで住む様になった。


夜中に一緒に走る仲間は、見付ける事が出来なかった。

年上の女性達と恋愛を重ねてきたのに、転居してからは、一切色恋を断っている。


更に、ブライアンは17年前にニックが精神分析を2回受けた事実を掴んだ。

ヨーロッパに暮らす妹の紹介で、マイアミで高名な精神分析家に通ったが、中断している。


「俺は、己を抑えたいんだ。自分を解放なんてしたくない。」


ニックは、こう妹に、精神分析を中断した理由を語っている。

心に刃を突きつける如く、自分を律する生き方を選んだ。


夜中に森を走っているのも、孤独と恐怖に耐え、己を鍛える為であろう。


『17年前に何が起きたのか?』


ブライアンはもっと詳しく調べた。


この時に初めてブライアンは、ニックがシアトルの金持ちの手下によって殺されかけた事実を知った。


『シアトルで、俺に近付いたのは、撃たれた復讐でもあったのか。』


シアトルの金持ちを退治してから、ニックは仕事に戻った。


それから、6ヵ月後、トラックで逃亡した殺人犯を、車で追っかけている最中、犯人が撃った弾がタイヤに当たり、ハンドル操作を誤った車は横転し、電信柱にぶつかると大破して炎上した。


助手席に乗っていた、当時の相棒は軽症で済んだが、運転席にいたニックは上半身に火傷を負った。

その時に、髪は白くなり、顔も老けた様に変り、身内も愕く程、外見も大きく変化してしまった。



4ヵ月後に職場復帰したニックだが、以前よりも増して犯人逮捕の為なら、どんな手段を使っても平気な人間になった。


ブライアンは、やはりシアトルの体験が、ニックを悪人を激しく憎むようになったのだと解釈した。


恐らく、その頃から秘密結社に入ったのではないかとも、ブライアンは見ていた。

だからこそ、ニックからブライアンに接触してこないのだと思った。


夜中の森をニックと共に走っているのは、秘密結社の人間ではないかと、ブライアンは思った。

いくら、ニックの周辺を探っても、該当する人物を見つけ出すことが出来なかった。


『薬剤師とルドルフが動かない今は、ニックから秘密結社を探り出そう。』


停職中のニックは、警察の目を離れ、自由に動き回れるからだ。


直ぐに出てきた。

薬剤師とニックは、短い間だが同じ部署にいた。


ルドルフとも接点があった。

職場では、殆ど面識が無かったが、ルドルフの自宅マンションで聞き込みをしたら、白髪の男性が足繁く通っているとの証言を得た。


ブライアンの勘は的中した。


17年前に、シアトルで共に闘った者同志が、今回は敵味方に分かれてしまい、ブライアンは悲しくなった。

続き