コリンとデイビットが、この日も病院を訪れていた。
「やあ、良く来たね。」
イサオが病室のベットで迎えてくれた。
側には、サラと青戸猛の姿もあった。
サラと猛は、日中イサオの看護やリハビリの手伝いをしていた。
襲撃後、イサオが意識を取り戻したので、コリン達は夜通しの付き添いをしなくなった。
サラも、午後には自宅でPCに向かい、仕事を徐々に再開していた。
コリン達は、昼過ぎから夕方まで病室にいることにした。
警察の警備が厚くなっても、用心深く2人は、夕方から夜遅くまで、地下駐車場や病院付近を見張っている事もあった。
いつ何時、イサオの身に再び危険が襲うかもしれないからである。
先日、ブライアンとジュリアンの情報から、当分は襲撃は無いと判断し、見張りの回数を減らした。
イサオの身を案じた父親の猛は、帰国を延ばして、イサオの自宅で居候しながら、息子を守っていた。
「隼さんは?」
病室には、イサオの兄・青戸隼の姿が無かったので、コリンが尋ねた。
「兄さんは観光に行ったよ。出張でアメリカに来た事は何回もあったけど、私的なのは初めてだから、俺が薦めたんだよ。」
「私が案内すると言ったけど、『君はイサオの側にいて下さい。』とやんわりとお断りされたわ。日本でお会いした時は、もっと優しい方だったのに。」
サラが肩を竦めた。
「息子が迷惑お掛けして申し訳ない。」
猛が謝罪した。
「謝る必要はないよ。父さん。兄さんが、多忙な中見舞いに来てくれたんだ。急に来たから、兄さんなりに気を遣っているんだから。サラに、余計な負担を掛けさせたくなかったんだ。」
イサオは兄を庇った。
気まずい空気のまま、サラと猛が病室を出た。
空気を変え様として、コリンがイサオにアーサーの事を話した。
「この前、イサオに連れてって貰ったバーに行ったんだ。バーテンダーをしていたオーナーと話をしたよ。良い人だったよ。」
「アーサーに会ったのか。彼とは、ここ暫く会っていないな。中々の好人物だろう。」
「そうだったよ。イサオの友達の友達なんだろう。」
「ああ。同僚の看護師が、共通の友達なんだ。その人の紹介なんだ。」
「偶然だけど、アーサーさん、前に話したニック刑事の親友でもあるんだ。」
「へぇー、アーサーは顔が広いな。」
イサオは驚いた表情をした。
コリンが、アーサーのバーで飲んだ時の話をして、病室の空気は和らいできた。
「コリンとデイビットと話すと、気持ちが落ち着くよ。父さんと話すると、えらく気を使ってしまうんだ。」
イサオから、ポツリと本音が漏れた。
気分が和らいだせいか、イサオは口を滑らした。
「昔、アーサーには悪いことをしてね。お詫びに、彼のバーに通ったり、同僚や友達を連れて行ったこともあったんだ。」
「何をしたの?」
「彼の映写機を壊してしまったんだ。勢い余ってね。」
「バーで暴れたの?」
イサオは、一瞬動揺した。
「ああ、そうだったと思う。」
イサオは、そこそこ酒には強く、酔うと明るく冗談をいう傾向にあった。
その彼が、酔って物を壊すなんて、コリンは想像付かなかった。
「何か辛いことがあったの?」
コリンの深い突っ込みに、イサオは顔を摩った。
「随分前の出来事だからなぁ。何だったんだろう。忘れているから、大した事ではなかったんだよ。頭を撃たれて、どうも記憶力が落ちたな。」
イサオは笑って、頭を掻いた。
「コリンが羨ましいよ。初対面なのに、結構な酒代をアーサーに奢って貰うなんて。面白い事を言ったのか?」
イサオは笑顔で、コリンに話を振った。
夕方になり、コリン達は引き揚げようとしていた。
「コリン、これから予定はあるかい?」
イサオが聞いてきた。
「無いよ。まだ側にいて欲しいなら、何時でもいるよ。」
「いや、兄さんの相手をして欲しいんだ。これから来るから、どこか連れてってくれないか。」
「良いよ。」
隼は、病院の近くのホテルを借りている。
一人で、見舞いをして、帰っていく。
いつも、隼は単独行動だった。
イサオは、隼の事を思い、コリンに頼んだのだ。
「俺は夜の街は詳しくないんだ。折角だから、アーサーさんのバーに連れて行くよ。」
「良いアイデアだね。そこなら、兄さんも気に入るよ。コリン、映写機の話は内緒だぞ。又、アーサーに怒られるからね。」
イサオが笑顔で頼んだ。
隼が、病室のドアをノックしてきた。
「リハビリの具合はどうだ。今、担当医師や経理担当と話し合ってきたよ。」
「兄さん、治療費は大丈夫と言っただろう。」
「何言ってるんだ。この国は、保険が無いのだぞ。出来る範囲は助けるよ。」
「俺は民間の保険に入っているし、蓄えもある。それに、どうしても足りない時は、サラの稼ぎに頼るよ。」
「米国に留学した時だって、私の援助が無ければ出来なかったんだ。弟が大事な時は、兄が支えるのは当然だ。」
コリンは、隼の気持ちが痛い程分かっていたので、目頭が熱くなってきた。
コリンも、10歳年下の弟・ケビンの為に、身を削って、精神的にも金銭的にもサポートしていたからだ。
ケビンは、現在は21歳。
東部の大学を卒業し、米国公認会計士(CPA)の資格を取り、東部の企業で働きながら、大学院で勉強を続けている。
成人してコリンの手から離れたケビンだが、コリンにとって掛け替えの無い存在なのは変らない。
自分と隼がダブって見えた。
「隼さん、この後は空いていますか?」
コリンから隼を誘った。
「私の方から、君を誘いたかったんだ。私は賑やかなのが好きだ。デイビットも一緒だよね。2人より3人の方が、楽しく飲める。」
隼はデイビットに気遣った。
コリン、隼、そしてデイビットは、繁華街のはずれにあるアーサーのバーへ向かった。
平日で、まだ夜は深まっていなかったので、客はまばらであった。
カウンターには、アーサーがいた。
「おや、今日は友達を連れて来てくれたんだ。嬉しいね。」
「紹介するよ。俺のパートナーのデイビットと、青戸隼さん。新聞で見ているかと思うけど、青戸勲さんのお兄さんなんだ。」
動いていたアーサーの手が、固まった。
「青戸勲さんのこと知っているの?」
コリンが聞いた。
アーサーは、慌てて手を動かした。
「君が、かの有名な『ニンジャの子供』と知り合いなんだと知って、驚いたんだ。青戸勲さんなら、このバーに来た事は何回かあるよ。そんな凄い人とは知らなかったな。」
「イサオは、俺の兄貴の様な存在さ。俺が14歳時に、シアトルで出会ったんだ。早いもので、17年の付き合いになる。」
アーサーはグラスを落としそうになった。
「ニックから、何も聞いていなかった。君は、青戸勲さんとはとても深いお付き合いなんだね。」
アーサーは笑顔を見せたが、目が笑っていなかった。
『おかしい。』
3人は、アーサーの挙動不審な態度を見て思った。
アーサーは何か隠している。
『イサオは、アーサーの事を古くから知っているのに、アーサーはイサオの事は知らないと言う。変だ。』
コリンはあの話をぶつけ様かと思ったが、隼がいるので止めた。
「ニックとは、何方ですか?」
隼がアーサーに尋ねた。
「私の親友で、刑事をしています。勲さんの事件を担当していましたが、今は違う部署に移動したそうです。」
さっきとは異なり、落ち着いてシェーカーを振っているアーサーの様子から、ニックが停職を喰らったことは、知らないようだった。
「隼さんも、忍術の修行をされていたのですか?」
今度は、アーサーが聞いた。
「一通りはね。警察に勤めたが、何にも役には立たなかった。」
隼は溜息混じりに、答えた。
「何言っているのですか。忍術を修得したお父さんのお陰で、弟さんは助かったじゃありませんか。」
アーサーが言った。
「そうですよ。イサオが忍術で人助けをしました。それで、命を救われた人がいるんです。」
コリンも言った。
「そうだね。」
隼は表情を明るくした。
酒が進み、隼はコリンに聞いた。
「君は忍術を学ぼうとはしなかったの?」
「猛さんの出ていた8ミリを見て、学びたいと思った事はありました。でも、イサオから、修行が大変だと耳にタコが出来る位言われて、怖くなり、やる気を引っ込めてしまったのです。」
「どの点が怖くなった?」
「砂の中に、指を突っ込む修行ですよ。それに慣れたら、砂利に進むのでしょう。それに、記憶したものを忘れない為に、腕に傷を付けるとか。聞いているだけで、痛そうで。それでも、一つだけ学びました。」
「何を教えて貰った?」
「猫の目を見て、時を計る方法です。」
隼は笑った。
「勲は、随分と君には話しているね。忍術は、修行に時間が掛かり、苦痛の伴うものだから、君が逃げるのは無理ないよ。簡単なものなら、ここで教えてあげるよ。」
隼の言葉に、コリンは耳を疑った。
「忍術は、家族以外には教えてはいけないのでしょう?」
「君は家族同然だ。気にしなくていい。現に、イサオは君に、一つは教えている。親父を見てみなさい。世界中に知らしめているじゃないか。それに、今は21世紀だ。もう解禁しても罰は当たらんさ。ここは、ダーツはあるかい?」
アーサーは、このバーにはダーツが無いが、ここから2軒先にダーツバーがある事を教えてくれた。
3人は、アーサーのバーを出て、ダーツバーへ移った。